【第13回】東京都豊島区「ゲームW」~「江古田湯」

東京都豊島区東長崎。

西武池袋線東長崎駅の改札を出て、夕刻のざわめく商店街を歩いている。
駅前から繋がる長崎銀座商店街はこの街のメインストリートで、右に左に魅力的なお店が立ち並び、油断してるとついフラフラと誘われて行きそうになる。
中でも、かつてこの街に住んだ本田宗一郎が愛したという鰻屋さんに一度行ったことがあるが、まさに絶品であった。だが今日は懐が空っけつなので、ここはぐっとこらえてスルーするしかない。

この東長崎銀座には、最近まで2軒のゲームセンターがあった。
「ゲームメデューサ」と「ゲームW」だ。
「ゲームメデューサ」は1階がパチンコ店、2階がゲームセンターという複合店で、音ゲーに強いお店として知られていた。しかしコロナの影響で休業すると、そのまま再開することなく閉店してしまった。その2階跡地には「アソビバ!」というアミューズメントカフェ&バーがオープンし、そこには「レトロゲーム機」の記載もある。見た感じあまり1人で行くタイプのお店ではなさそうなので入るのに躊躇したが、いつか機会があれば訪れてみたい。

アソビバの看板です

メデューサの斜向かいにあるのが、もう一軒の「ゲームW」。こちらは1階がゲームセンターで、2階がパチスロ店。つまり、メデューサと真逆の配置だった。歩いて5秒くらいと位置的にも近く、張り合って営業しているライバルのような様子が微笑ましくもあったのだが、メデューサのゲームセンターが閉店してしまい、なんだか寂しくなった。
ゲームWは現在も元気に営業しており、このあたりでは唯一のゲームセンターとなってしまった。『ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲』(アイレム/1984)、『ナムコクラシックコレクション』(ナムコ)のVol.1(1995)とVol.2(1996)といったレトロ機もあるので、ぜひ足を運んでいただきたい。

ゲームWの店内写真です

陽が沈みかけ、代わりに看板に明かりが灯って夜の賑わいを見せ始めた東長崎銀座を抜けると、しんと静かな住宅街に変わる。しばらくはそこを江古田方面に向かって歩いていく。ちなみに、逆に向かって歩いていけば、昭和の漫画家たちの梁山泊・トキワ荘があったエリアになる。現在はトキワ荘を再現したミュージアムや関連施設が出来、跡地には石碑が立つなど町おこしに余念がない。
一瞬、藤子不二雄Aの『まんが道』にも登場する中華料理店「松葉」でラーメンでも……と頭をよぎるが、あまりに真逆の方向なので今回は諦めて江古田を目指すことに。

地下を都営大江戸線が走る目白通りに出てさらに歩き、江原三丁目西交差点を南側に折れてすぐにところに小さなコインランドリーがある。近所に住む利用者以外はおそらく気にも留めないこの「SANYOコインランドリー」の店内には、だいぶ古ぼけたテーブル筐体がポツンと1台置かれている。

コインランドリー内の写真です

麻雀コンパネが付けられたテーブル筐体の色褪せたインストラクションカードは『麻雀学園 卒業編』(ユウガ/1988)。開発をカプコンが担当し、美麗なグラフィックと納得できる打ち筋、そしてHボタン連打という革命的新機軸の搭載でヒット作となった。この、後のレジェンドたちが集ったドリームチームにより世に送り出された『麻雀学園』により、当時経営危機にあったカプコンは息を吹き返したとも言われている。

麻雀学園のインストカード写真です

まさにゲームの歴史上特筆すべき重要な一作が、コインランドリーの片隅にあるというただの偶然にウットリとした妄想を重ねてしまったが、洗濯をするわけでもないので早々に店外へ出る。おそらくもう稼働することもないと思うが、末永くここにあり続けて欲しいと願うのだった。

コインランドリーを後にして、少しだけ西武池袋線の線路寄りに移動する。このあたりは普通の住宅街で、やや暗い入り組んだ路地をゆっくり歩いていくとやがてほんのりとした灯りが見えてきた。

江古田湯の外観です

ここが銭湯・江古田湯だ。マンションの1階が銭湯で、上は住居という構造になっているが、完全にビルトインされているというより、前面に昭和の銭湯の面影を残したままのスタイルがなんともいえない。
早速、暖簾をくぐって番台にお金を払い男湯の脱衣所をぐるりと眺めると、おお……あるある。入口から右前方にテーブル筐体が1台、さらに奥に入った左手にももう1台。
そうこちらは、世にも珍しい2台ものテーブル筐体を有する銭湯なのだ。

テーブル筐体の写真です

すぐにでも筐体を愛でたい欲求を抑え、まずは湯を楽しもうじゃないか。地下100mから汲み上げた井戸水を薪で沸かしたお湯は肩まで浸かって感じる柔らかな優しさ。季節によって様々な変わり湯も楽しむことができ、こんな銭湯が近くに欲しい! と、思わず天井に向かって叫びたくなる。

実は社会人になってしばらく経った頃、江古田に住んだことがある。そのアパートはこの江古田湯からわずか130メートルの距離のところにあった。今回改めてGoogle Mapでその位置関係を確認しその近さに驚いたのだが、さらに驚くことにこの近さにありながら、当時はこの江古田湯をまったく認識していなかったのだ。
あの頃、銭湯にまったく興味がなかったので仕方ないが、それにしても迂闊すぎる。もし当時江古田湯を訪れ、脱衣所のテーブル筐体を目撃していたらどう感じたんだろうか。すでにテーブル筐体が珍しい時代だったこともあったし、きっと感動したんじゃなかろうか……などとボンヤリ考えながら、どこまでも気持ちのよいお湯にゆったり浸かる。

湯船から上がって体を拭き、冷蔵庫から不二家のレモンスカッシュを取り出して番台で代金を支払う。ついでにゲームをしていいかと写真撮影の許可をいただいてからドッカと椅子に腰を下ろした。
この連載ではすっかりお馴染みとなった三木商事のコンパネに、in 1基板という組み合わせ。レモンスカッシュを一口グイとあおり、100円を投入してゲームを選んでからプレイを始める。選んだのは『フロッガー』(コナミ/1981)。そう、「風呂」と「フロッガー」をかけたダジャレである。脱衣所に小さーく響くゲームのプレイ音を楽しみながらのパンツ一丁爽快プレイはなんとも格別な気分だ。

フロッガーのゲーム画面です

ゲーム機が置いてある銭湯を“ゲーム銭湯”と称し、調査しては巡っているのだが、プレイ可能な状態で置いてある銭湯はいまのところ江古田湯くらいしかない(※スーパー銭湯除く)。そもそも“ゲーム銭湯”自体が極端に少ない上に、写真撮影がしにくい特性上、存在を把握しずらいという難点があるのだ。もし他にも“ゲーム銭湯”の存在をご存じの方がいらっしゃいましたら、稼働非稼働は問いませんのでぜひ教えてください。

さて、ここでもう1台のテーブル筐体にも触れておこう。『テトリス』(セガ/1988)のインストカードが入った台で、コンパネはなんと『チャンピオンベースボール PART2』(アルファ電子/1983)だ。前作では1人用だったが、PART2では2人対戦可能となり、ひとつのコンパネに2つのレバーとボタンが付けられた貴重な純正品を見て、興奮度はさらにアップ。どうやら故障中とのことだが、そんなことはまったく気にならない。テレビでは甲子園での熱戦が繰り広げられていた夏の日、風呂から上がった少年たちがチャンピオンベースボールで対戦し、大いに盛り上がる……そんな光景がまぶたに浮かんでくるようだ。

チャンピオンベースボールのコンパネ写真です

江古田湯の創業は昭和45年。ゲーム機は後になってから設置されたが、一度は壊れて長い間放置されていたそう。しばらく経ってからご主人の友人がブラウン管を液晶に置き換え、基板も入れ替えて修理してくれたのだそうだ。チャンピオンベースボールの方は修理しないのか聞いてみたら、そっちは難しいのかねぇとのお返事だった。いつか2台体制で稼働するとさらに面白いことになりそうだ。あと女湯はどうなっているのかちょっと気になる。
体の芯まであたたまるお湯と、2台のテーブル筐体によりホカホカの興奮冷めやらぬまま、暖簾をくぐって外に出る。そういえば、江古田湯から南西方面に500メートルほど行ったところ、中野区にえごた湯(江古田湯)という漢字で表記すると同名の銭湯がある。訪れる際はお間違えなく。もちろんえごた湯も素晴らしい銭湯なので、ハシゴとしゃれこむの悪くない。

肌寒い秋の気配が色濃くなっていく中、江古田駅に向かって歩いていく。20年も前に住んだ街はあちらこちらが様変わりしていた。思い出の中にある町並みと照らし合わせながら駅周辺を徘徊していると、ある貼り紙に目が留まった。「本日餃子100円」と書かれた貼り紙は、東京の北西部に集中した店舗展開をする中華チェーン店「福しん」だ。毎月だいたい29日に餃子100円デーを開催しているのだ。高級な鰻ももちろん大好きだが、20代を過ごした街ではこういう方が似つかわしい。店内に飛び込み「餃子五人前!」とコールした。

餃子5人前の写真です

 

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