マイコン少年残酷物語 連載第1回 クーロン黒沢

マイコン少年

時は1995年。ゲーム界を支配していたスーファミに、人知れず、下衆なゲームがひっそりとリリースされた。

さる香港スター似のキャラを操って大陸に乗り込み、迫りくる人民を片っ端から処刑するという謎ゲーム。その名も「香港97」。

ひと言で表現するなら若気の至り。鬱々とした精神によって生み出された一発ネタの闇ゲームだった。

  
香港97のゲーム画面、なおほかの画面は問題がありすぎて、まだなんとか発表できるようなスクショでこれだ

 

私の思いつきをわずかな時間で形にしてくれたのは、80年代から数々の有名パソコンゲームに携わってきた芦田さん(仮名)という超人プログラマー。

もともと読者だった芦田さんから応援の便りを頂いた縁で親交が生まれ、いつぞや食事の最中、

「黒沢さん、なんかゲーム作りたかったら僕、手伝いますよ」

彼がなんとなく口にした社交辞令を真に受けた私。その数カ月後、某人気アニメのゲーム化で死ぬほど忙しい芦田さんのスタジオに押しかけ、徹夜で描いたドット絵のデータを手渡し、「香港97」の概要を口頭で説明した。

殺人的な仕事量で寝る暇もなく、身も心もボロボロだった芦田さん。嫌な顔ひとつせず「すぐやりますから」と言うと、その日の深夜にはゲームが出来上がっていた。

ボスキャラ(鄧小平)の動きが某人気アニメゲームとまるで同じ……みたいな御愛嬌はあったけど、細かいことはどうでもいい。
早速フロッピーにぶち込んで売り出すも、価値観の幅が今よ
り狭かった90年代の日本。こんなゲームを欲しがる奴はおらず、売れたのはわずか数十本。パッケージの印刷代や一枚一枚コピーする労力と送料、私書箱のレンタル料、何もかも回収できないまま、胸にぽっかり穴の空くような大失敗に終わった。

 

出せばきっと話題になるぞ……そう信じて始めたプロジェクトではあったが、ここまで外しまくると逆に清々しい。在庫をまとめてゴミ箱に放り込み、無かったことにしたはいいが、なんとそれから20年あまりの歳月を経て、私の予感が見事的中する。

ゲームの存在すら忘れた2016年のある朝。自分のFacebookメッセンジャーに、英語、フランス語、ポルトガル語……。海外から凄まじい数のメッセージが届いていた。

グーグル翻訳してみると、それらはすべて「香港97」への賞賛と質問。いまいち状況が飲み込めぬままメッセージをチェックして初めて、アメリカの人気ユーチューバーが「香港97」をネタに動画を作り、それがとんでもなく(一千万再生オーバー)バズりまくったことを知った。

このとき届いたメッセージは、個別に返信する気が失せるほどの量(しかもほとんど同じ内容)。きりがないので全シカトするしかなく、世界的な反響を喜ぶ一方で、あのしょうもないゲームが自分の代表作となってしまった事実に、戸惑いとやるせなさを感じた。

肝心のゲームは好き放題バラまかれ、ほぼフリーウェア状態。身から出た錆といえばそれまでだが、大バズりした割に金銭的恩恵はほぼゼロ、私はいいとしても、ノーギャラでプログラムを書いてくれた芦田さんにはお詫びのしようもなく、本当に申し訳なく思っている……っと、長くなったがここまでが本編の前振りだ。

 

つい先日、久々に芦田さんと顔を合わせた際、本連載の取材がてら、少年時代のエピソードを訊いてみた。
自分がパソコンゲームに熱狂した80年代。すでに作り手として活躍していた芦田さん。そういや今までこういう話したこと無かったけど、何か面白いエピソードありませんかね?
軽い調子
で質問を投げた私に、しばらく黙って何も答えなかった芦田さん。おもむろに口を開くと

「パソコン買えたのは大人になってからなんですよ。子供の頃は食べるものもなくて、ぜんぶ盗んで生きてましたから」

そう言いながら、何か思い詰めたようにじっとテーブルを見つめ、少年時代を振り返ってくれた。

自分と4つしか違わない芦田さんの語る幼少期の思い出は、まんま「はだしのゲン」の世界。
毒親の鑑である父母のもと、ハイエナさながらに町をさまよい、拾ったり盗んだりして毎日を生き抜いてきたという。

初めて買ったマイコンの話でも聞けるかと思いきや、コンクリートの塊みたいな重い話を本一冊分語られ、その日、家に帰って寝込んでしまった私。

しかしながら、本連載の趣旨はあくまでもレトロゲームである。今回は心を鬼にして重い話をはしょりながら、「こんなマイコン少年もいたんだよ」という事実だけを皆さんと共有したい。

 

「生まれは東北の田舎です。親父は職業不詳で、家にも滅多に帰ってこない人で。それが小学生に入るか入らない頃に一度だけ、いきなり馬に乗って帰ってきたことがあって、上機嫌で乗馬を教えてくれるんです。でも次の瞬間ふらっと消えて、またふた月くらい帰ってこなかったり。そんなのが最初の記憶かな。で、小3のとき神奈川に引っ越しました」

父も父だが、母は暇さえあれば町を徘徊し、家に帰るとトイレにこもって嘔吐していたという。

 

当然、家事のほとんどは芦田少年の担当。食べ物を探し、見当たらなければ(母親のぶんも)調達するため外に出た。

「食べ物もそうですけど色々やりました。現金が欲しいから買い取り屋へ持って行くんですけど、すぐ怪しまれて拒否られて。そのうち(一緒に行動していた)同級生たちがどんどん捕まって。ま、やつらは遊びの延長だったけど、僕は命かかってるんで、真剣度が違いましたね」

5年生の春に(そのへんにあった)自転車を手に入れた芦田少年は、当時流行っていたBMXのまねごとに熱中した。
しかし所詮はママチャリ。ジャンプしたりコケるたびグシャグシャに潰れ、その都度、別のママチャリに乗り換えていたが、あるときそれを見た父が突然、モトクロス用の自転車を買ってやると言い出した。

 

「小5の夏ですね。親父がいきなりマングースってBMXのチャリを買ってくれて。後にも先にも親父からプレゼントもらったのはそれだけかな。死ぬほど欲しかったものだけど、後が怖くて全然喜べなかったですね」

真新しいチャリの横で、「お前はこれから俺の言う通り動くんだぞ」──そんな不気味なセリフを吐く父。子供ながらに不穏な空気を感じたその翌朝、父から買い物を言いつけられた。

 

「タバコとか食材とか、ずらっと書いた買い物リストを渡されて、でもお金はくれないんですよ。金くれないから自分でなんとかするしかない。持って帰らなきゃ何されるかわかんないし。それが毎日ですよ」

手ぶらで帰れば容赦ない「罰」が待っている。
買い物リストの品をどうやって揃えるか、そればかり考え、追い込まれる毎日。
書いてる私も、連続殺人鬼の少年時代を語っているような気分だが、ここでようやく芦田少年の前にマイコンが現れ、暗闇の人生が一変することになる!

(つづく)

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