マイコン少年残酷物語 連載第7回

マイコン少年

ふとしたきっかけで知り合った闇のプログラマー、芦田さん(1968年生まれ)の少年時代を振り返る漆黒のマイコン一代記。

諸般の事情で一部仮名・変名を用いてますが、基本はありのまま。大筋はノンフィクションでございます。

ログイン編集部
 

授業中にハンドアセンブルした16進数のプログラムをパソコンショップの展示マシンでタイピング。できあがったゲームをソフトメーカーに送りつけ、数十万円のギャラはすべてキャッシュで受け取って、貯金は一切せず、ゲーセンと買い食いで使い切る──という、規格外の中学生ライフを送っていた芦田。

ある日、本屋の店頭で毎号欠かさず(買わずに)読んでいた『月刊ログイン』(アスキー)の編集後記に「アルバイト募集」の小さなカコミ記事を発見する。

ログイン バイト募集

「プログラムの腕には自信があったんですけど、今思えば中学生なんか募集しないですよね? だけどおれ、人一倍世間知らずなんで、履歴書送れば雇ってくれるだろうと、書くこと無さすぎて半分くらい未記入のぐしゃぐしゃな履歴書を、証明写真も貼らずポストに入れちゃったんです」

当然、一週間経っても返事はなかった。だが、無鉄砲で怖いもの知らずの芦田はどうしても諦めることができず、公衆電話からアスキーに電話をかけ、履歴書送ったのになんの連絡も無いんです! と声高に叫びまくった。

しばらく黙って芦田の訴えを聞いていた相手は、「ちょっと待って。いまチェックするわ」と席を立った数分後、だるそうな声で

「芦田君だっけ? そうねえ……。そんなにバイトしたいなら考えなくもないから、あしたこっち来てくれる?」

と言ってくれた。

内定をもらったような気分の芦田は、翌日、授業をさぼって東京・南青山のログイン編集部へ遠征。

出迎えたのはガリガリに痩せこけた骸骨のような男。彼が差し出した名刺には「小島文隆」と書かれていた。


※小島文隆:『ログイン』をマニアのためのパソコン誌からエンタメ路線に大転換した三代目編集長。同誌を大躍進させ、『ログイン』『ファミコン通信』『MSXマガジン』三誌の編集長を兼任するなど、一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。


「小島さん。このときまだヒラだったと思います。最初おれが中学生なの知らなかったみたいで、14歳ですって言った瞬間、絶句してました」

まじまじと履歴書を眺めながら、眉間にシワを寄せた小島は、

「この子14歳なんですけど。14歳なんて雇っていいんですかね?」

バイト面接

奥のデスクに向かって大声で尋ねた。

すると、デスクでモニタを眺めていた宮崎(宮崎秀規・二代目編集長)が小さな声で、「知らんけど、やりたいんならいいんじゃないの?」と応じ、小島は「いいのかなあ……」と困り顔で、それでも渋々といった感じでオーケーをくれたのだった。

「小島さんはもともと河川敷で暮しているような風体でしたけど、編集長になってからも衝動的に電車の網棚によじ登って寝ちゃうみたいな、とにかくめちゃくちゃな人でしたから。これ比喩とかじゃなくて、日常的にやってましたからね」

『月刊アスキー』の別冊として1982年に創刊した『ログイン』は、この翌年、兄貴分の『アスキー』と似たり寄ったりのお硬い情報誌から、ゲーム中心の誌面に大きく路線を変更。

その後も三代目編集長の小島文隆によって、さらに大きく面舵が切られ、大衆向けのエンタメパソコン誌に変貌してゆくのだが、芦田が加入したこの頃はまだ二代目・宮崎体制が続いており、巻末のBASICプログラムリストなど、創刊当時のマニア誌らしさがまだ若干残っていた。

「しばらく雑用ばかりやらされたある日、塩崎さん(塩崎剛三)に突然呼ばれて、コイツをお題にゲームを作れと、本を一冊渡されたんです」

受け取った本は、後に直木賞作家となる阿部牧郎の官能小説。平たく言えばエロ小説だった。

塩崎からは「8月号に載せるから一ヶ月で作ってね」と言い渡され、芦田はいきなりの大仕事を前に途方に暮れるしかなかった。

「エロ小説のゲーム化って、おれまだ中学生ですよ? しかも童貞ですよ? それでも四の五の言ったって始まらない。もう死に物狂いで完成させましたよ」

難儀したのはプログラムではなく、原作を読み砕き、ゲームにする過程のシナリオ作りだった。

阿部牧郎は京都大学文学部卒。対する芦田は不登校の中学生。原作を読んで理解するだけでも大仕事だった。

あるとき、作中に登場する「カンパリソーダ」の意味がわからず泣きそうになっていると、見かねた女性編集者が「カクテルの名前だよ」と教えてくれた。

「隣の机にいた野々さん(野々村文宏=雷門ビデ坊)って人と、徳永さんって女性編集者。どっちも歳上だけど、面倒見のいい人たちでした。カンパリソーダを教えてくれた徳永さんは、しばらくして編集部のマタローさん(河野真太郎)と結婚するんですけどね……。それはともかく、なんとか一ヶ月でエロゲー作って、無事プログラムが掲載されまして」

エロゲー

エロゲーなのに絵は一枚もなし。オール半角カタカナのテキストアドベンチャーは、当時としても大変地味なゲームだった。

ほどなくして、三代目の小島に編集長が代替わりすると同時に大リニューアルが敢行され、編集部は蜂の巣をつついたような大騒ぎ。毎日が戦争のような忙しさだった。

「忙しくてキツかったけど、ちょっとした裏技使って、給料だけはたっぷりもらってました。ここだけの話、いま同じことやったら間違いなく捕まると思いますけど」

プログラムもできるバイトとして重宝された芦田だが、部内では他のバイトと同額の時給制だった。

その代わり(と言っては何だが)、バイトの時給計算は各自の自己申告に委ねられており、気持ち多めに申告しても、ほぼ申告した時給で支払われた。

潜在的にくぶっていたプログラマーとしてのプライドと不公平感が、性善説に則ったこの「ゆるシステム」とリンクすることで、しばらく眠っていた芦田の中の「悪魔」が再起動してしまうのだが、それが終わりの始まりだった。

「はい。勤務時間を水増ししまくってたんですよ。ま、ふつうは限度ってもんがあるんですけどね……。ガキなんで行けるところまでエスカレートしちゃうんです。最後の方は24時間ぶっ通し、土日返上、週7日勤務ってことにして。それでもしばらくはお金もらえてましたよ」

結果、編集部ナンバーワンの高給取りが15歳のアルバイトという事態に……。むろんこんな禁じ手がいつまでも通用するほど世の中は甘くない。ある朝、唐突に人気のない場所に呼び出された芦田は、待ち構えていた小島編集長から、

「芦田ちゃん、僕より高給なんだね……」

と、まずはほんのり嫌味を言われた。

「分かると思うけど、うちじゃこんな給料で雇えんからさ、続けたいなら独立して、フリーになってもらうしかないんだよね」

意外にも小島は声を荒げたりせず、優しく諭すように、芦田に退職を促したのだった。

田尻智とビル・ゲイツ
 

「ログイン辞めたのはおれの自業自得なんですけど、あの頃のアスキーはとにかく勢いがすごかったから、色んな人が集まってきて、ポケモンの田尻さん(田尻智)なんかともよく遊んでました。つまらないことしなければ一番面白かった時代のログインに居られたのに。そういう後悔はありますね」

野々村(雷門ビデ坊)の紹介で知り合った田尻とは、実家が同じ方面にあったことで、すぐに親しくなった。

同じ電車で帰ることも多かったが、人並み外れて繊細な田尻には押してはいけないスイッチが幾つもあり、ささいな失言で怒らせてしまうことも何度かあった。

「あの当時、ゼビウスであることをすると牛が出るって、わけのわからないデマが流れたんですよ……。田尻さんはゼビウス攻略で名を馳せた『ゲームフリーク』のトップでしょう? もしかするとデマじゃない可能性もあったから、興味本位で何気なく聞いちゃったんですよ。そしたら普段、めちゃくちゃ温厚な田尻さんが突然怒り出しちゃって」

「田尻さん、ゼビウスの牛って本当にい……」

──芦田が言い終わるその前に、かぶせるような「いねえよ!」という怒声が、小田急線の車内に響き渡った。

田尻さんに怒られる

「あのな、こっちは基板を解析してんだから。絶対いねえよ!」

向かいのシートでうつらうつらしていたオッサンが、ひえっと目を見開くほどの迫力。いきなりの激昂に芦田も二の句が継げず、しばし気まずい沈黙が流れた。

「田尻さん、噂とか都市伝説とか、白黒はっきりしないことが死ぬほどキライなんですよ。しばらくすると鈍いおれでも気がついたけど、おれ自身も頭に浮かぶと我慢できないタイプだから、つい余計な事言って、またキレられるみたいな……」

この時代『ゲームフリーク』と言えば、ゲーマー少年あこがれのエリートグループ。芦田も密かに参加を夢見ていたものの、最後まで田尻からスカウトが来ることはなかった。

「よっぽど牛の質問がムカついたのかもですね……。田尻さんってゲームデザインの人に見えて、実はプログラムもよく分かってるんですよ。いつだか『ドルアーガの塔』のバグについて訊いたら、あれはスタックオーバーフローだよ、POPし忘れてるッ! とか即座に返されて、あ、この人の前ではいい加減なこと言えないなって」

編集部では田尻智のほかにもうひとり、忘れられない出会いがあった。

「おれ、ログインに入ってから半分家出みたいな状態で、週の大半は編集部で寝起きしてたんです」

ある日の明け方。いつものように会社の床で寝ていた芦田がぼんやりと目を開け、頭を上げると、がらんとした薄暗い編集部の窓の前で、こちらに背を向けた二人の男が、夜明けの町並みを見下ろしていた。

尿意を覚えた芦田が立ち上がると、気配を感じたのか、二人のうち小柄な方が不意に振り返った。

西和彦──当時のアスキー副社長だった。

西和彦とビルゲイツ

西にぺこりとお辞儀した芦田は、トイレへ歩き出す。と、西の脇にいたもうひとりと視線がぶつかったその瞬間、声を上げそうになった。

「外人っぽい雰囲気なんで、なんとなく顔見たらビル・ゲイツだったんすよね。半分寝ぼけてたんで夢かと思ったけど、夢じゃないって分かった途端、眠気なんて吹っ飛んじゃって……」

尿意に急かされ、目の前の情報を処理しきれないままトイレに滑り込み、放心状態で出すものを出した芦田が編集部に戻ると、すでに二人の姿はなかった。まるで幻のような出来事だった。

「当時、アスキーとマイクロソフトは提携してたんで、会社にビル・ゲイツがいても不思議じゃないんですけど、なんであんな朝早く会社をうろついていたのか。そこだけは謎のままです」

ビル・ゲイツと遭遇した翌年、採用からわずか一年あまりで、芦田はログインを去ることになる。

わずかな月日ではあったが、日本を代表するパソコン雑誌の編集部で得た経験と人脈はすばらしいもので、すでにこのとき、新たな転職先も決まっていた。

新たなる職場は、神奈川にある某人気ゲームメーカー。その会社の名は──?

(つづく)

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著者紹介
クーロン黒沢

自ら多彩なアブない活動をしつづけ、ユーザーの心の闇を文章化してきた功労者。
90年代にあやしいアキバ、ダークなウェブをシャバに出し続け、驚き100連発な暗黒アジア情報などを書籍やネットを通じて発信しつづけている。
著者自身も現在でいう「レトロPC」に造形が深い。ソシム発行の「マイコン少年さわやか漂流記」は彼の自叙伝的名著。現在はYoutuberでもあり、執筆活動も精力的におこなっている。プノンペン在住。
クーロン黒沢氏のX(https://twitter.com/kurosawa6502)
クーロン黒沢氏運営のサイト シックスサマナ(http://sixsamana.com)

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