ドット絵を描く機材の変遷

アルファ電子コラム第52回のイラストです

80年代から90年代、ゲームのドット絵を描く為に、各メーカーでは会社ごとに独自のドット絵ツールが作られていました。
アルファ電子からエーディーケイ時代はプログラマーの笠さんがツールを作られていましたね。
今回の『知られざるアルファの世界』は、ツールを動かすハードにスポットを当て、私が触ってきた数々のハードや周辺機器を語ってみたいと思います。

◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆

・PC-8801のキーボードでグラフィックを作成するのは、どのような操作になるのですか?(カーソルキーで座標指定 → カラーコードを入力 → エンターで色置き …みたいな?)

カーソルキーで座標指定でしたね。
色を設定してパレットにするのは数字だったかな。
でも、パレットにある色はコピーが出来て、それを上下させて明暗させるテクもありましたね。
エンターキーで決定、消す操作は別操作だったと思います。
40年前の話なので、この辺りはかなり忘れていますね。

アルファ電子では私が最後の88ドッターでした。

・ジョイスティックはキーボードの補助として使うものだったのでしょうか?

セーブ、ロード、画面切り替えといった機能はキーボードですが、ドット絵を打つ作業は全てジョイスティックでした。
でも、これがなかなかクセが強くて、打ちたいところにドットが打てない(笑)。

・「AV20」とは1985年に発売された「FM-77AV20」のことだと思いますが、これはどれぐらいの期間使われていたのでしょうか?

『カイロスの館』~『スーパーチャンピオンベースボール ~帰ってきたチャンピオンベースボール~』までの期間ですから、1986年(私は86年入社の為、85年の状況がわかりません)~1989年までの期間です。

私にAV20が回ってきたのは『バトルフィールド』の助っ人に入った時ですね。
以降、『ゴールドメダリスト』『スーパーチャンピオンベースボール』です。

・X68000の導入の契機はなんだったのでしょうか? また、こちらはいつまで使い続けましたか?

多色同時発色(最大65,536色中16色や、32,768色フルカラー)の性能です。
また、専用のモニター性能も何気にスペックが高かったです。
AV20の時はアーケードゲームのモニターを繋げて見ていたので、黒いプラ板を通しても目のダメージがハンパなかったんですよ。

X68000はADKの後のフォンキャストの時代までドット絵アニメマシンとして稼働していました。

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著者紹介
鳩野 高嗣 (はとの たかし)

フリーランスのゲーム制作者・グラフィッカー。 タイヨーシステム(カルチャーブレーン)~アルファ電子(ADK、フォンキャスト)~TENKY~dropといったキャリアを経て、現在に至る。
アルファ電子には1986年から2001年まで在籍しており、同社の黄金期から末期までの歴史・実情を知る人物である。 関わった作品は『ラギ』『痛快GANGAN行進曲』『ワールドヒーローズパーフェクト』『テニスの王子様-SWEAT&TEARS-』シリーズ、『マイネリーベ2』など多数。

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