【第73回】神奈川県相模原市「相模湖公園」

神奈川県相模原市緑区。

いつの頃からか、毎年の恒例行事としてお花見に行くようになった。
桜の開花が近づくと、今年はどこに行こうかというメッセージのやり取りが始まる。これも春の風物詩になってきた。
これまで関東近郊の桜の名所をあちこち訪れた。今年はこれまで手薄だった神奈川県が候補にあがり、中でも行きやすそうな相模湖近辺に狙いが絞られていった。

用水供給、水力発電、下流治水を目的として1947年に相模川にダムが設置され誕生した人造湖が相模湖だ。遊覧船やスワンボートで湖上に乗り出すこともでき、近くに温泉や遊園施設もあったりする、東京から比較的近い避暑観光地として重宝された時代もあった。1964年の東京オリンピックではカヌー競技の会場としても整備され、ブラックバス釣りの名所としてバスアングラーにも親しまれている。

そして相模湖といえば、湖畔のゲームコーナーが有名だ。
SNSでレトロゲームが注目を集め、ほとんど忘れられていた観光スポットがクローズアップされるケースが増えた。相模湖もそれに該当する。
かくいう私も、初めて訪れたのは2019年のことなので、SNSで知ったクチだ。

相模湖北側の窪んだところにある相模湖公園。涼し気な湖面とそのバックにそびえる石老山、焼山など東丹沢北東端の景観を眺めつつ進んでいくと、貸しボート屋の建物が並ぶ一角に突き当たる。まるで古い映画のオープンセットのように時を止めたその街並みの雰囲気は一瞬で私を魅了した。

相模湖公園の写真その1です
▲2019年の写真

その中の一軒、『富士スポーツランド』は2023年1月に惜しまれつつも閉店。
創業は相模湖ダムと同じ1947年で、太平洋戦争終結からわずか2年後のことだ。なんと75年余りも営業していたことになる。その間、射的やスマートボール、ピンボール、ビデオゲームと時代によって設置遊技機を変化させながら営業を続けてきたのだから、その佗びた雰囲気は間違いなく本物だったのだ。

最後まで置かれていた“スマートボール”とは、浅い傾斜で配置された盤面にシューターでボールを射出し、傾斜を下りながら得点の書かれた入賞口に入れていく遊技機だ。入賞すると多数のボールが払い出される仕組みで、継続してボールを増やしていき景品と交換するパチンコと同じは風俗営業適正化法第四号営業で許可されている店舗もある。
構造的にはピンボールと似ているが、大きな違いは下りてきたボールを打ち返す“フリッパー”の有無だ。プレイヤーのテクニックが介在する余地を与えたフリッパーの発明は、遊びの進化の枝分かれを生み、やがてスマートボールは衰退していった。

ゲームコーナーの写真その1です

東京都内最後のスマートボール場は浅草にあったが2020年に閉業し、絶滅種に。関東にエリアを広げても江の島、箱根、四万温泉にしか専門店はなく、あとはレトロ系の新興施設にポツリと1台か2台設置されているケースがある程度だ。その意味で希少なスマートボール場が相模湖から消失してしまったことは文化的な損失といえる。

他にも『富士スポーツランド』には、ミニチュアの車を操作して道路上のチェックポイントを通過させていく「ミニドライブ(マーク2)」(関西精機製作所/1976)やウィリアムズのピンボール「APOLLO」(1967)、「SPANISH EYES」(1972)が残されていた。メンテナンスはギリギリで、硬貨を入れたらどうにか動く賽銭箱的な稼働状況ではあったが、使い込まれた歴史的なマシンに触れるだけでもありがたい縁起物だ。

ゲームコーナーの写真その2です

ある時ふとお店の裏側に回ってみたら、「スティールガンナー2」(ナムコ/1992)が半壊したゲーム機とともに放置されていたことがあった。これに限らず75年の間には数え切れないほどのゲーム機が入荷と撤去を繰り返していったことだろう。どんなに稼ぐマシンであっても、いつかは引退して廃棄される運命にある。この写真はいま見ても心がギュッと鷲掴みにされる、そんな1枚だ。

ゲームコーナーの写真その3です

さて。
そんな過去の相模湖の思い出をたっぷり噛み締めているうちに、あっという間にお花見ドライブの日と相成った。
これまで何度か相模湖にはやってきているがすべて車を出してもらっており、電車で来たことは一度もない。JR中央本線の相模湖駅から歩いて来れるようだし、いつか中央本線各駅停車の旅もやってみたい。

浦和で友人らと合流して車を走らせ1時間ほど。相模湖公園の駐車場に車を駐め、湖畔に出るとほぼ満開の桜が出迎えてくれた。一応お花見というテイで来てはいるものの、相模湖が特段、桜の名所というワケでもない。密集度高く咲き誇る桜群も魅力だけど、ポツリポツリとした桜並木もそれはそれで味わいがある。桜よりも人の数が多い上野公園のような狂乱がないだけでも落ちついてていい。
だがそれにしたって人が少なすぎる。湖に遊びに行くという娯楽自体が都市部に住む人々からすっかり抜け落ちてしまったようだ。

相模湖公園の写真その2です
▲2026年の写真

土曜日のお昼前の人出とは到底思えない閑散とした公園を歩いていくと、以前見たときと変わらぬ商店街が出現する。75年前とまったく同じとは思わないが、その面影を今日まで色濃く残す街並みはまさに希少という他なく、まるでタイムカプセルのような存在感をもって眼の前に建っている。

一番手前でボートへの勧誘にも積極的な『振興ボート』に入ってみる。
奥側は一面がガラス戸になっており、満々と水をたたえキラキラ光る相模湖を背景として、一目でクラシックとわかるゲーム機たちが居並んでいた。現在は子供向けのプライズやメダル機が多く、唯一のビデオゲームは『ファイナルラップ』(ナムコ)のみだ。初めて訪れたときにはすでに稼働不可になっていて、訪れるたびに少しづつ老いていっている印象がある。心無い者によりハンドルのnamcoロゴがもぎ取られていることに気づき胸を痛める。知名度が上がることはこういうリスクもまた表裏一体なのだ。

ゲームコーナーの写真その3です
ゲームコーナーの写真その4です

見廻ってみたところ大きなラインナップの変化はないようだ。こちらも相模湖ダム稼働以来79年を数える老舗。前人未到の100年ゲーセン到達まで頑張ってほしい。

続いて隣の『勝頼ボート』に移動。
遊覧船、スワンボートの切符売り場の脇から中にはいると、こちらも湖側の窓がひらけた気持ちのいいゲームコーナーが広がる。

ゲームコーナーの写真その5です
ゲームコーナーの写真その6です

『太鼓の達人』『ガンバァール』……あれ? 『オーシャンハンター』が失くなって『リズム天国』になってる。でも『バトルギア』も『ジュラシック・パーク』も『ファイナルハロン』も『ラピッドリバー』も元気でやってるようだ。その雰囲気もあってまるで懐かしい友人にでも会うかのように息災を喜んだ。

外に出てみると、正面のお店の看板に描かれた『得点王』の文字が目に飛び込んでくる。ここがかつて『富士スポーツランド』が営業していた場所だ。よく見ると“SNK”と書かれているしネオジオのサッカーゲーム『得点王』のことなのだろうが、なぜこの作品タイトルを看板に? あとで調べたところ、4作目に当たる『得点王 炎のリベロ』(1996)のロゴを使用していた。取引のある酒造会社やビールメーカーがロゴ入りの看板を飲食店に贈るという商習慣があるが、あれのゲーム版だろうか?

ゲームコーナーの写真その7です

正面はシャッターが下りているので脇のガラス戸から中を覗き込んでみる。うっすら暗闇の中にはからっぽの射的の棚だけが見えた。この棚に並ぶ多数の景品をコルク銃で撃ち落として歓声をあげた客もいまはもういない。スマートボールもピンボールもミニドライブもすべて消え失せたがらんどうの店内にまた胸がきゅっとなった。

射的といえば、同じ並びにある『射的 清水』のシャッターが下りていたのも気にかかる。相模湖最後の射的屋さんであり、店頭のカプセル自販機の景品が信じられないくらい昔のままで止まってるすごいお店だ。レトロ演出として意図的にそうしているのか、はたまた天然でそうなったのかはわからないがとにかく必見だ。どうも閉店ではないようなのでうまく代替わりをしてなんとか在り続けてほしい。

ゲームコーナーの写真その8です
▲2019年の写真

ゲームのラインナップうんぬんではなく、天然の雰囲気だけでここまで郷愁感を醸し出すスポットは関東では他に並ぶ場所がない。あまりに商売っ気がないところはちょっと心配になってしまうのだが、その素っ気なさが他にはない魅力となっている。
なにはともあれ、ひょっとしたら日本最古級のゲームコーナーを今後も見守り続けたい。

ああ。
やっぱり相模湖は、結局お花見どころではなくなってしまう場所だった。

相模湖公園の写真その3です

過去の記事はこちら

さらだばーむ ゲームある紀行

BEEPの他の記事一覧はこちら

BEEP 読みものページ
VEEP EXTRAマガジン

BEEP ブログ

よろしければシェアお願いします!
著者紹介
さらだばーむ

目も当てられないほど下手なくせにずっとゲーム好き。
休日になるとブラブラと放浪する癖があり、その道すがらゲームに出会うと異様に興奮する。
本業は、吹けば飛ぶよな枯れすすき編集者、時々ライター。

PAGE TOP