Day12 Mファン編集部編⑤

 ほとんど失われた昭和の企業文化に「社員旅行」というものがある。かつてはどこの会社にもあったであろう行事だが、今でも実施している会社は少ない。社員全員で休みを取って行楽にでかけるなんて、令和の新人社員には信じてもらえないかもしれない。
 これはミヤヒロさんから聞いた話なのだが、かつてあったセガの社内報の記念すべき第1号には、ハワイへ社員旅行に行ったという記事模様があったということだ。1960年代くらいだろうか? なかなか景気の良い話だ。ただ、僕が入社した1994年にはセガの社員旅行はとっくに無くなっていた。社員が数千人規模になっていると、実現は難しそうである。かつての会社の行事はほかにも運動会などがあったようだ。
 そんな僕でも、実は社員旅行の経験がある。それは『MSX・FAN』編集部があった徳間書店インターメディア(TIM)での経験だ。TIMは9割がたのメンバーが「社員」ではなくアルバイトという会社だったので、社員旅行ではなく「社内旅行」と呼ばれており、所属する全員で旅行を楽しんだ。もちろんすべての旅費は会社持ちである。僕がTIMにいたのはわずか2年なのだが、もちろん2度とも参加している。今回はその時の思い出を語ろう。

 最初は1992年。秋の行楽シーズンに2泊3日で「那須高原別荘村 眉の里」にてバーベキューを楽しむ旅だった。

↑1992年はスーパーファミコンで『ストリートファイターⅡ』が発売された年です。

 

 当時のTIMにはファミマガ、ファミマガ増刊(スーパーファミコンマガジン、ゲームボーイマガジン)、PCエンジンFAN、メガドライブFAN、テクノポリス、そしてMファン編集部があった。これに仙台にあるウル技(読者投稿の裏技紹介ページ)部隊があって、当然彼らも参加した。全部で100人以上におよぶ大所帯だ。この時のためにすべての雑誌は制作進行を早め、3日の休みを確保するのである(ただし、隔週刊だったファミマガだけは、いつも数名が犠牲になるとも聞いた)。

↑「旅のしおり」より。極めて親切な注意書きが書かれていた。

 

 当日は昼に会社へ集合、貸し切りバスに乗車して那須へ向かう。目的地に着くと森に点在するいくつものコテージ(別荘)を貸し切ってあり、各部屋4~9人ずつに分かれて宿泊した。

↑コテージはこんなところ。(犬はコテージに付属していません)

 

 班は縦割りで、各編集部が1人ずつ分かれる(多くが初対面)というシャッフルがされていたが、とあるコテージにスーファミ本体と『ストリートファイターⅡ』をセットで持ち込まれていることが知られると、みんなそこへ集合してしまったので、部屋割りも一時的なものだったかもしれない。

↑スーファミ1台に群がる参加者たち

 

↑参加者の誰かが持ち込んだカプコンCPSスティックと標準コントローラ。

 

 一夜明けて2日目は、付近の観光施設までバスで短距離移動し自由行動だった。場所は「りんどう湖ファミリー牧場」「那須サファリパーク」「那須ハイランドパーク」の3か所。僕は那須ハイランドパークにある温泉へ行くことにした。満員のバスは、途中のファミリー牧場とサファリパークでほとんどの人が降りたので、一番遠くだったハイランドパークまで乗っていたのは僕を含めてたったの3人しかいなかった。そして僕以外の2人というのが、入社時にお世話になった管理部の部長と、「ご隠居」ことファミマガグループの総編集人であった山森尚さんだった。
 どちらかというと子供向けの雑誌であったファミマガの中にあって、”ご隠居”、山森さんが連載していた巻末のコラム「隠居の目」だけはチェックしていた業界人は当時多かったのではないか。「隠居の目」は、ファミマガを創刊した山森さんが編集長を退任後に始まった連載で、わずか1/2ページほどの小さな記事だが、毎週ゲーム業界への提言・苦言などが赤裸々に語られていた。当時ゲーム業界最大部数を誇り、業界への影響力も少なくなかったファミマガならではの視点で、人気ゲームタイトルや時には任天堂を含む業界全体に対し、時に鋭く、厳しい提言が語られた。


 そしてコラムと同様、山森さんの鋭い指摘は当然ながら社内へも向けられていた。面白くない原稿は容赦なく書き直させられ、校了(完成直前の最終確認作業)で表紙の絵を差し替えたこともあった。そういうことだから社内でも山森さんのことを怖がるアルバイトは少なくなかったようだ。ようだ、と書いたのは、僕のいるMファンとテクノポリスだけは山森さんが編集に参加することはなかったからだ。
 客を3人だけ乗せた観光バスが那須の山道を全力で登っていくなか、僕は山森さんに挨拶した。
「お前、もしかして奥成達の息子か?」
 そうだと答えた。
「お前の親父、凄く面白い人だよな。よく覚えているよ。よろしく伝えてくれ」
 僕がTIMで働く何年も前に、父はTIMの親会社である徳間書店の「アサヒ芸能」という週刊誌でコラムを執筆していたことがあった。ファミマガが創刊される前に山森さんは「アサヒ芸能」にいたらしい。意外な縁で打ち解けてしまった。目的地の温泉では、会社の偉い人と入社半年に満たないアルバイトが裸の付き合いをさせてもらった。
 温泉から戻るとバーベキュー&キャンプファイヤーを楽しんだ。僕が山森さんと一緒に温泉に行ったと知ると皆口々に「勇気あるなあ」と驚いていた。

↑バーベキューを待つ筆者。当時はテクノポリス編集部、今はニンドリ編集長のかややんさんと。

 

 2回目の旅は1993年11月の2日間。「富士西湖パラマウントパーク」にて実施された。

↑前年に比べると質実剛健になった1993年のしおり

 

 当時のしおりを見直すと、夕食は豚の丸焼きだとか、「部屋別対抗100人宝探し」というアトラクションをしたとあるのだが、まったく記憶にない。覚えているのは、やはり、みんなでゲームをしたことだ。
 この年は僕もメガドライブを持ち込むことにした。ソフトは出発当日に発売された『パーティークイズMEGA Q』だ。このゲーム最大のウリである5人同時プレイを遊ぶ絶好の機会なので、コントローラ5つを用意した。

 

↑1993年11月5日発売の『パーティークイズMEGA Q』 ©SEGA

 

 コテージに着くと、早速部屋のテレビに、メガドライブをセッティングする。コントローラ5つも持ってくるような酔狂な参加者は僕ぐらいだろうとほくそ笑んでいたら、隣りのコテージにはなんとネオジオが持ち込まれていて、『サムライスピリッツ』で盛り上がっていた。2つのジョイスティックはもちろん、ヘッドフォン端子からはご丁寧に小型スピーカーまで繋がれており、上には上がいるのだと思った。
 それはそれとして、うちのコテージではメガドライブを堪能した。初めてプレイした『パーティークイズMEGA Q』の面白さは格別で、最初から5人プレイを楽しめたことを感謝したい。いつの間にか部屋にも見知らぬ人が増えており、「このゲームはなかなか良いな」とつぶやいていたのは、ファミマガの山本直人編集長だった。前編集長の山森さんとは違い、ソフトな印象の山本編集長とお話をしたのはこの日が初めてだった。

↑筆者(右)と山本編集長(中央)

 

 僕は結局山森さんとも山本さんとも仕事をする機会は無いままTIMを卒業したので、この2度の旅行は貴重な経験となった。家族や気の合う友達と行く旅行は楽しいものだが、知らない人ともひっくるめてみんなで行く旅行は、多くの場合修学旅行で止まっているに違いない。社会人になってから味わうのもなかなか良いものなので、これを読んだ会社役員の方がいらしたら、是非社員旅行の復活をご検討いただければと思う。

 

↑西湖にて。手前は筆者、奥はMファン編集部の”あじ福田”。

 

 それから20年以上経った2016年に、僕にとって忘れられない事件が起きた。書籍『セガ3D復刻アーカイブスMANIAX』が徳間書店から発売されたのである。GAME Watchで不定期連載していた僕とエムツー堀井さんのインタビュー記事を1冊にまとめた記念本だ。そして、長らくSNSでファンから期待されていたこの企画を実現してくれたのがほかならぬ山森さんと山本さんのお二人だったのである。20年越しでついに一緒にお仕事することができた。もしかすると社内旅行での出会いが、この本を実現させてくれたのかもしれない。

↑『セガ3D復刻アーカイブスMANIAX』は既に絶版。電書化はされておりません。ゴメンナサイ

 

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著者紹介
奥成洋輔

1971年生まれ。『MSX・FAN』(徳間書店インターメディア)の編集アルバイトを経て、1994年にセガ入社。2005年以降はプロデューサーとして過去タイトルの復刻作品を数多く手掛ける。主な作品にPS2「セガエイジス2500」シリーズ、ニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」、『メガドライブミニ』『同2』など。
2022年より副業として執筆活動を開始。2023年『セガハード戦記』(白夜書房)を上梓。イラストは餅月あんこ先生。
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