【第60回】東京都大田区「稲垣菓子店」~東京都目黒区「山口菓子店」など

東京都品川区中延。

東急大井町線の中延駅改札を出てわずか30秒のところにある立ち食いそば店『大和屋』ののれんをくぐる。かけそばが400円でそこに天ぷらやわかめ、お揚げや玉子などを選んで乗せていく方式のお店だ。まずはガラスケースに鎮座する揚げたて天ぷらの艷やかな姿をじっくりと眺め、吟味する。

今年の夏は特別な用事がない限りできるだけ外出を控えていた。とにかくもう異常というべき暑さで毎日のように夏への呪詛を吐き続けた。仕事が未だにリモートであることを幸いに、食料をゴッソリと買い込んで真冬の熊のように自宅へと引きこもった。体重はじわじわと増え、逆に体力は激減した。

10月に入って暑さがようやく和らいできたので、休止していた散歩を再開することにした。どこに行くかとGoogleマップを広げてあれやこれや検討し、かねてよりの懸案でもあったこのエリアを選んだ。

立ち食いソバの写真です

カウンターにとんと置かれた天玉そばからふわりと立ち上るダシの香り。天ぷらはしっとりと油の汗をかき、生卵は艷やかな光沢を放っている。真夏の間はこれっぽっちも思い出さなかったが、肌寒い季節になると急に恋しくなる存在。そんな都合のよすぎる扱いをしても嫌な顔ひとつしない健気な立ち食いそばに会いたくてここまで来たのだった。

そんな数カ月ぶりの逢瀬も一瞬で終わり、威勢のいい声に送られて外に出ると荏原町駅に向かって歩きはじめた。この近辺は東急線の駅が密集しており一駅二駅歩くにはちょうどいい散歩の名所だ。あちらこちらとお店を覗きながらブラついただけで、あっという間に荏原町駅に到着。やはり駅間が短い。

では早速ゲームセンターへ……といきたいところだが、このあたりもご多分に漏れずゲーセンはすでに絶滅してしまっている。
ご存じの方も多いだろう。かつてお隣の旗の台駅には「ゲーメスト」「マイコンBASICマガジン」のハイスコア集計店として、レベルの高いプレイヤーを輩出した『荏原ゲームコーナー』があった。

ゲーメスト1993年2月号には、前年の人気を競い合ったゲームの中から選出される『第6回ゲーメスト大賞』が特集記事として掲載されている。1987年から1992年の間に獲得したハイスコアの数を集計し、上位店舗を表彰する企画も設けられていた。そのハイスコア獲得数で第2位に輝いたのが荏原ゲームコーナーだ。その獲得数はなんと6年で235タイトルに及ぶ。

ゲーメストのハイスコア店表です

ハイスコア界隈では名門中の名門だった荏原ゲームコーナーも2014年に惜しまれながら閉店している。あれからもう11年が経過し、もはや周囲には面影らしきものも見えない。どこの駅前にも一軒くらいはあったゲームセンター自体がすっかりレアモノになって久しい。

荏原ゲームコーナーの常連だったワケでもないが、なんだかしんみりした気分のまま旗の台駅から東急大井町線に乗り、2つ隣の大岡山駅で下車する。
この駅にもゲームセンターはもうないことはわかっているがここらで一発、生のゲーム成分を吸収しておきたい。南口を少し下ったところにある大田区北千束の『稲垣菓子店』に寄っておくか。

稲垣菓子店の写真です

店頭に子どもたちがたむろすいかにもザ・駄菓子屋という店内には、『ホームランバッター』『スーパーテニス』など盤面の絵柄がなんとも郷愁を誘う10円ゲームや、『かっとばせ!パワプロクン』(コナミ/1998)、『いたずらモンキー』(サミー/2000)、『ザリガニつり』(サミー/2001)といったキッズメダル機が稼働している。

ゲーム機の写真その1です
ゲーム機の写真その2です

『稲垣菓子店』のすぐ隣は、東京工業大学と東京医科歯科大学が統合し新たに開学したばかりの東京科学大学がある。大学の近くにはだいたいゲーセンがあったもので、この近辺も小規模店がいくつか営業していた記憶がある。当然その頃から『稲垣菓子店』は存在したが、ゲームセンターより駄菓子屋の方が長生きするとは正直意外であった。10円商売の駄菓子は2000年代を生き抜けないとする論があったくらい、リアルな絶滅への危機感があったのだ。

線路をまたいだ北側の住宅街でちょうど大田区と目黒区の区境のあたりにもポツンと一軒、小さな駄菓子屋『山口菓子店』がある。こちらはビルの1階に入った商店というロケーションで、10円ゲーム『カーレース』と『つかんでとるちっち』(コナミ/1995)が稼働している。『稲垣菓子店』と似たラインナップであることから同じ業者が出入りしていることが推測される。

ゲーム機の写真その3です

いつぞや駄菓子を買いがてらお店のおばちゃんと雑談をした時に、取引のあった駄菓子の問屋が潰れて在庫だけで賄っていると話していた。そののち何度か店の前を通りかかったが元気に営業を続けていたので、やはり駄菓子屋は粘り強い。地域の子どもたちのためという理由のほかに、店主さんの生きがいとなっている一面もあるのだろう。

山口菓子店の写真です

『山口菓子店』の前の路地からほどなくして大きな自動車道路に出る。環状七号線、通称“環七”。ここを北に少し行ったところにあるのが、本日のメインのスポットである目黒区南の『ランドリー ゴリコ』だ。

コインランドリーに盛んにゲーム機が置かれた時代がある。洗濯機が回っている間の時間潰しはいまでこそスマホが主流だが、それ以前は置かれたボロボロの漫画を読むくらいしかなかった。そこに1980年代に普及したテーブル筐体が滑り込んだ。

私が子供の頃、近所にある大学の周囲にはコインランドリーが多数あった。洗濯機も自動販売機もゲーム機も無人のコインオペレーションで完結するシステムであったため、当時需要がうなぎのぼりのアーケードゲーム導入は必然だったといえる。
洗濯機以外のモノが何も無い店内でゲームをプレイすると音が大きく反響し、ゲームセンターとは違う醍醐味があった。プレイが終わると急に『シン……』とするところも独特の侘び寂びを感じさせた。そんな思い出もあったからか、いまでもコインランドリーを見かけるとつい店内を覗き込んでしまう。

2022年にリリースされた『Arcade Paradise』(Nosebleed Interactive/Wired Productions)というゲームをご存知だろうか。経営難のコインランドリーを切り盛りすることになったプレイヤーが洗濯機よりもアーケードゲームの方が稼ぎが大きいことに気づき、どんどんゲームコーナーを拡大し本格アーケードへと発展させていく経営シミュレーションゲームだ。

Arcade Paradiseのゲーム画面です

当初の舞台はビデオレンタル店やピザ屋が検討されたが、最終的にコインランドリーに落ち着いたという。同じコインオペであるコインランドリーとアーケードゲームが共存し、アーケードゲームの方がより売り上げた一瞬の時代の懐かし記憶とともにプレイすると、海外でも同じような体験をした人がいるのかもしれないな、と胸が熱くなった。

環七沿いにある『ランドリー ゴリコ』を発見したのは、ゲーム機が置かれたコインランドリー“ゲームランドリー”の一斉捜索をしていた時のことだ。チェーン系より独立系コインランドリーの方がゲームを置かれる可能性は高いと踏んでいたなかで包囲網に引っかかった一店だった。

お店の場所もさほど遠くなかったため、急ぎ訪れて驚愕した。
置かれていたのはピンボールだったからだ。

ピンボール機の写真その1です

セガ・ピンボール社の『アポロ13』(1995)、『インディペンデンスデイ』(1995)、『007 ゴールデンアイ』(1996)。1994年にデータイーストからピンボール事業が移譲され、再びピンボールメーカーとして漕ぎ出したセガの新たな船出直後の作品ばかりだ。このラインナップになんらかの意図があるのか、はたまた偶然なのか。

ピンボール機の写真その2です
▲2022年5月撮影

3台ともフィールドガラス上にアクリルカバーが置かれていた。最初はガラスの破損を防ぐためと思ったが、どうやら斜めになっているピンボールのフィールド面と地面とを並行に保ち、その上に飲み物を置いても倒れないようにするための装置だと気づいた。
 調べてみると『ゴリコ』を運営する会社は飲食店もいくつか経営していた。ピンボールの斜めに配置されたフィールドガラスにドリンクの入ったグラスをそのまま置くと、ちょっとした振動で倒れてしまう。それを防ぐカバーを使うのはゲームセンターよりも飲食系が多いのだろう。

また『ゴリコ』グループは飲食のほかにも不動産、エステ、通販、エネルギー、出版など謎に幅広い経営をしていた。コインランドリーのある1階のほかのフロアはどうもグループの他業態で占められているようなので、持ちビルなのかもしれない。全体に漂うクセがある雰囲気は経営者の趣味からくるものか。

以来、ヒマを見つけてはなんとなく訪れていたのだが、そのたびにピンボール台の具合が悪化していき、さらに店の奥へ奥へとギュウギュウに追いやられ、ついにはプレイ不可となってしまっていた。

ピンボール機の写真です
▲2023年12月撮影

ピンボールのメンテナンスには熟練の技術が必要不可欠だが、それを行える人員も外部サービスマンもいなかったのだろう。このままでは撤去されることも十分ありえる、という予感もあった。

そんなこれまでのことをボンヤリ考えながら歩いていたのだが、どうもおかしい。
環七に出てからこんなに歩いたっけ?

Googleマップを確認するいつのまにか建物の前を通り過ぎていたようだ。さほど注意を払っていなかったとはいえ、気づかず素通りなんてことあるかしら?
嫌な予感がしつつも、地図でピンを刺した場所へと接近していく。
ピンと自分の現在地が重なった場所に到着し、顔を上げると……

更地の写真です

そこは更地になっていた。

6階建てで三角の形をしたコンクリート打ちっぱなし風ビルが完全に消失し、ついでに周囲の民家も隣にあった建設会社もまるっと一式ゴッソリ綺麗サッパリ無くなってしまっていたのだ。
貼られていた建築計画を読んでみるとどうやらマンションに生まれ変わるようだ。

この連載においても幾度となく店舗閉店の嘆きを伝えてきたが、ビル丸ごと消滅していたパターンは初めてだ。
“呆然”というのはこういうことを指すのだろう。

トボトボと自由が丘方面に引き返しながら、目の前から姿を消したピンボールの行方を想った。どこかの店舗に引き取られたか。それとも売却されたか。
データイーストからバトンを受け取ったセガ・ピンボールはさらにスターンピンボールへと継承されて現在まで会社として生き延びている。母体が無くなっても案外ピンボールというマシンと文化はしぶとい。

しかし、お店というものは本当にある日突然いろんな理由で無くなるので、後悔する前に今すぐ行動することをお勧めしたい。

ゴリコ外観です
▲2023年4月のゴリコ外観

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著者紹介
さらだばーむ

目も当てられないほど下手なくせにずっとゲーム好き。
休日になるとブラブラと放浪する癖があり、その道すがらゲームに出会うと異様に興奮する。
本業は、吹けば飛ぶよな枯れすすき編集者、時々ライター。

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