ゲームアイディアコンテストの実情

アルファ電子コラム第31回のカットです

話題作りというのはどんな形であれ、モノを売ったり注目を浴びさせる為には必要不可欠な部分と考えます。
しかし、それが出来レースともなれば話はちょっと変わってきます。
真摯に取り組んだ方々の想いを踏みにじるのは気持ちの良い事ではありませんからね。
今回の『知られざるアルファの世界』はそんな闇の部分のお話です。

◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆

・大賞以外にも何か賞はあったのでしょうか?(社長賞、審査員賞など)

当初は特に予定はなかったみたいですが、さすがに気が引けたのか、最終的には”お情け”みたいな賞を設けたそうです。
その受賞者には手塚一郎さんの名前もありましたね。

・このときに送られてきた企画で、何か採用されたものはあったのでしょうか?

一切ありませんでした(笑)。

・話題づくりのため…とのことですが、実際の反応はどうだっのでしょう?

結構応募は来たみたいです。
企画書っぽいものからハガキ1枚に書かれたフラッシュアイディアまで幅広く。
この当時はゲーム企画のフォーマットなんて、あって無いようなものでしたから。

・その後、アルファ電子でアイディアを公募しようといった動きはありましたか?

これもありませんでした。
企画部員が企画会議で多くのアイディアを出していたという事もありますが、会社自体もヤクザ(現在で言う反社)絡みで大量離脱があった後で元気のない時期でしたので、そういった余裕も無かったのでしょうね。

・いわゆる出来レースは世間的にはままあることですが、鳩野さん自身はこうしたことをどう思われますか?

この事例はADKの最晩年の話ですが、あるパチンコメーカーからデザインコンペという名目で来た件です。
ほぼほぼ確定しているデザインがあって、部署はその格を上げる為に参加料を出すから適当なデザインを何点も出して、あたかもたくさんの中から選ばれたように上司にアピールしたいという内容の依頼を受けた事があります。

出来レースはどんな形であれ、この先も残っていくと思いますが、個人としては関わりたくないですね(笑)。

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著者紹介
鳩野 高嗣 (はとの たかし)

フリーランスのゲーム制作者・グラフィッカー。 タイヨーシステム(カルチャーブレーン)~アルファ電子(ADK、フォンキャスト)~TENKY~dropといったキャリアを経て、現在に至る。
アルファ電子には1986年から2001年まで在籍しており、同社の黄金期から末期までの歴史・実情を知る人物である。 関わった作品は『ラギ』『痛快GANGAN行進曲』『ワールドヒーローズパーフェクト』『テニスの王子様-SWEAT&TEARS-』シリーズ、『マイネリーベ2』など多数。

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