長野県佐久市。
~前回(第57回)のあらすじ~
夏の締めくくりとして友人4人でドライブ旅にでかけることになった。
出発時間の遅れと中央道の渋滞がかなりのロスとなるも、どうにか目的地をクリアしていく一行。スーパーマーケットで買い出しも済ませ、今晩の宿を目指すのだった。
地図を壁に貼ってダーツを投げると高確率で温泉地に刺さるという温泉王国・長野県。
200を超える温泉地の中から泊まる宿を選ぶだけでも至難の業だ。
温泉の泉質で選ぶほど温泉通ではないし、夕食メニューで選ぶほどグルメでもない。宿や温泉街の雰囲気も大事だが、どうせ部屋に入ったらあとは布団の上でゴロゴロするだけだし、ましてや久しぶりに揃う男性4人連れ。積もる話もあろうというものだろう。
そんな条件の中から選びだした今夜の宿が、春日温泉『国民宿舎 もちづき荘』だ。
佐久市街地からはだいぶ離れた蓼科山の手前で、さらに奥まで行くとJAXAの宇宙観測所があるという日本でも指折りの夜空がきれいな場所。それほど大規模ではない静かな温泉郷が春日温泉だ。
予定の2時間遅れでチェックインを済ませカギを受け取ると、4人で寝るにはちょうどいい和室にどっとなだれ込む。
移動距離が長く、ドライバーを務めてくれた友人には負担をかけてしまったが、なかなかに盛り沢山なゲームスポット巡りを回想して心地よい疲労感に満たされていた。
そんな一日を締めくくる宿として、もちづき荘を選んだ理由。
それが、旅館やホテルの和室の奥の窓際にある椅子とテーブルが置かれたスペースに鎮座するテーブル筐体だ。
1978年8月に発売されると口コミで面白さと中毒性が広がり、日本中に大ブームを巻き起こした「スペースインベーダー」(タイトー)。瞬く間にインベーダーゲームだけが置かれた“インベーダーハウス”が乱立しただけでなく、ボウリング場、喫茶店、食料品店、駄菓子屋などありとあらゆる店舗の隙間を文字通り侵略していくことになる。
ホテル旅館業もまた、このブームを放っておかなかった。ブーム以前からゲームコーナーがあったホテルはインベーダー筐体を多数設置して客の誘致を図り、そのようなスペースがない場合はロビーに置かれることもあったという。
しかし、ブームというものはそう長くは続かないものだ。
あまりの熱狂ぶりに様々な問題が噴出し、マスコミがその在り様に警鐘を鳴らしはじめ次第にインベーダーの生み出すマイナス面がクローズアップされていく。日本社会全体で侵略者への危険性が浮き彫りとなり、ついには国会で論議が提出されるという事態にまで発展。一気にブームは沈静化する。
コピー品を含めると30万台をゆうに超えて出荷されていたインベーダーゲームの筐体は反転、その数を減らしていくことになる。ご存知の通り、アーケードゲームがレジャーとして、あるいは文化として隆盛を迎えるのはこの後になるのだが、とにかく日本中を侵略したインベーダー軍とその母艦であるテーブル筐体は1979年後半以降、収まる場所に収まっていく形で収斂していったのだ。
そんな狂乱ともいえるインベーダーブームの最中、客室内の広縁(ひろえん)のテーブルをテーブル筐体へと置き換え、宿泊客にスペースインベーダーを独占プレイさせてくれるホテルが存在した。春日温泉もちづき荘の『レトロゲーム部屋プラン』は、わずか1年という一瞬のインベーダーブームで起こった夢の再現なのだ。
『レトロゲーム部屋プラン』は、すずらんの間一部屋のみ。入口に掲げられたインベーダーランプがその目印。テーブル筐体に純正コンパネをとりつけ、インストラクションカードは新日本企画(SNK)のOEM品。入っている基板はもちろん「スペースインベーダー」だ。
3年前にもこの部屋にインベーダー目的で宿泊したことがあるが、その時に稼働していた基板は、実は「スペースインベーダー パートⅡ」だった(※下の写真参照)。分裂インベーダー、UFOによるインベーダー補充、レインボーボーナスと新たなフィーチャーを追加し待望していたゲーム市場へと投入された本作だったが、発売となった1979年8月は初代リリースからすでに1年が経過しており、ブームも落ち着いた頃だった。
こうした歴史的背景など大部分の宿泊客にとってはどうでもいいことかもしれない。しかし、あのブームの中心にあったのはあくまで「スペースインベーダー」であって「~パートⅡ」ではないというリアルをきちんと踏まえ修正していく宿のこだわりに、私は思わず目頭を熱くした。このプランの企画者、まったくもって只者ではない。
さらには客室インベーダー最大の問題点といえる、外に漏れ出てしまう電子音も外部ボリュームを設置することでクリアしている。またプレイは100円硬貨ではなくチェックイン時にもらえるメダルで行うという点も嬉しい配慮だ。インカムを稼ぐことが目的ではなくその雰囲気を存分に味わうことこそがこのプランの主眼であり、我々のようなロートルゲーマーの心理を憎いほどに把握している。この広縁テーブル筐体がもっと日本中の旅館に広まることを願ってやまない。
夕食の佐久市名物・鯉のうま煮に舌鼓を打ち、ヌルリとしたアルカリ泉質の温泉にゆったりと浸かる。正直な話これだけでも泊まる価値は大アリだ。
あとは買ってきたスナックやら団子やらを貪りながら、学生時代のようにただダラダラと過ごすだけ。話に熱中し過ぎて、みんなあまりインベーダーをプレイしなかったものの、テーブル筐体からかすかに響くモニター音を感じるだけで安堵感を得ることができる。夜は更けていき、ひとりまたひとりと眠りに落ちていった。
翌朝。
遮光カーテンを閉め忘れていたため、差し込む朝日が眩しい。
その光がテーブル筐体の天板に反射してキラキラと輝く姿が神々しくすらある。
朝風呂に入り、朝食をもりもり食べ、身支度を整える。チェックアウトの朝は実に慌ただしい。
最後にテーブル筐体を囲んで、おっさん4人で記念撮影をした。ここはレトロゲームを愛する者にとってのディズニーアンバサダーホテルやホテルミラコスタみたいなものだ。ミッキーはいないがインベーダーが迎えてくれる。
ちなみにもちづき荘の2階ロビーには、テーブル筐体のみというシブいゲームコーナーもある。和風旅館の景観に溶け込んださりげない設置にもブレないコンセプトが徹底されている。ゲームは入れ替えも行われているようなので、どんなゲームに出会えるかは訪れてみてのお楽しみにしておこう。
経年劣化による抜けきらない疲労と寝不足を乗せて、2日目の旅がスタートする。
といっても最初の目的地はわずか10kmほどなのですぐに到着。
佐久市茂田井にある『武重本家酒造』は明治元年創業の造り酒屋。幕末期の仁孝天皇の第八皇女・和宮親子内親王が泊まったことがあるとか、酒豪で知られた歌人の若山牧水が揮毫行脚の際に訪れこちらの清酒「御園竹」の讃歌を詠んだとか、長い歴史にふさわしいエピソードがさらっと出てくるような老舗の蔵元だ。
友人らはお土産に酒を買うための販売コーナーに、私は明治期の雰囲気をそのままに残す国の登録有形文化財である建物とその内部の見学に。
この重厚な和を感じさせる雰囲気を日本映画界が放っておくはずもなく、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」のロケ地としても起用されたという。
さらにはアニメーション映画「サマーウォーズ」でも物語の核となる陣内家のモデル家屋として、こちらで醸造した清酒「牧水」「御園竹」ともども出演を果たしている。現在「サマーウォーズ」15周年コラボ商品も展開中なので、気になる方は公式サイトへどうぞ。
珍しくゲームと無関係の普通の観光をしているように見えるかもしれない。
連れてこられた友人も「ずっとゲーム関係で引っ張り回されてきたのに、なんで急に蔵元?」とうっすら疑問を感じたことだろう。
実はこちらの『武重本家酒造』の第16代現当主・武重有正氏は、東京大学工学部精密機械工学科を卒業して工学博士の博士号を持っており、在学中の1980年1月に電気音響からリリースされたアーケードゲーム「平安京エイリアン」を開発したメンバーのひとりなのだ。
「ゲームセンターあらし」世代には馴染み深いあの名作を開発した人物が、現在は蔵元の代表として酒造りをしていると聞きつけ、この絶好の機会にお邪魔したというワケだ。
邸宅内を案内していただいた方にそれとなく話を伺ってみたところ、武重有正氏がご在宅とのことで少しだけお話をさせてもらった。
「平安京エイリアン」にちなんだお酒は造らないのですかと尋ねてみたところ、“平安京”という名称の使用が引っかかる可能性があるかもとのこと。では、“エイリアン”に漢字の当て字をするとか“検非違使”とかではどうでしょう? と言うと、優しく丁寧な口調で「考えてみます」と笑顔(苦笑い?)で答えていただいた。
次のスポットへと向かう車内でも『握手くらいさせてもらえばよかったな~』などと浮かれる有り様で、すっかりミーハーを晒してしまうのであった。
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