【第64回】東京都北区「おもちゃのふくしま」

東京都板橋区志村。

時刻は16時を回っている。
いつもならだいたいは午前中に家を出て夕方までのんびりと散歩をすることが多いのだが、めずらしく15時くらいに出発した。家事をこなし、宅配便が届くのを待ち、外が寒いのを言い訳にダラダラしてしまったのが主な理由だ。
そうなってしまうと外出する気もすっかり失せて、そのまま何もせずに1日が終了ということもままある。しかし今日は萎えそうな気力を振り払って都営三田線の志村坂上駅までやってきたのだった。深刻な運動不足を少しでも解消せねばならない。

地下鉄ホームから階段で地上に上がるとすでに太陽は沈みはじめていた。すっかり日の入りが早くなったなと感じつつ、自然と急ぎ足になる。
都営三田線は文京区の白山駅あたりから国道17号線に沿うように北上する形で地下を走っている。国道17号線は新潟まで至る大動脈であり、その街道の要所要所に点在する各駅の周辺は街道の忙しなさと下町の気安さが同居する独特の空気をまとっている。

立ち食いそば さかうえ外観です

志村坂上の商店街である城山通りの真ん中あたりに一軒の立ち食いそば店がある。
「立喰いそば さかうえ」。カウンターのみで入口扉がないフルオープンスタイルのお店だ。のれんをくぐってすかさず「天玉そば、黒麺で」と告げる。

大学に入って2年目にこの隣の隣の駅の街に引っ越してきた私は、毎日毎日自転車でこの立ち食いそば屋の前を通った。ある日ふとここの天玉うどんを食べたことから、立喰いそばの世界に魅了されることになったのだ。
ある時は学校へ行く途中の昼メシとして、ある時は少し早い晩餐として、来る日も来る日も天玉うどんを食べ続けた。やがてこの町を離れることになって自然と足は遠のいた。社会人となってからは自宅と会社との往復だけを繰り返す日々に埋没していった。
東京にはその町ごとに立ち食いそば店がある。独身の強くて温かい味方である立ち食いそばの新たなお店を開拓するたびに、頭の中にある立ち食いそばランキングは更新されていったが、記憶の奥底にありながら輝きを失わない志村坂上のお店「立喰いそば おくちゃん」の天玉うどんは、常にランキングのトップ争いに絡んでいた。

そんな「おくちゃん」が2018年に40年以上の営業を終了した。私にとっての立ち食いそばの原点があっさりと消えてしまった。
ところがその直後に「立喰いそば さかうえ」として復活し、立ち食いそばファンの度肝を抜いた。「おくちゃん」の常連が味を引き継いだのだそう。常連に店をバトンタッチするケースをたまに話に聞くが、そのお店がいかに愛されてきたかを示す重要な指標であり、味の保証としても間違いがない。

そばの写真です

長い変遷を経てうどんからそばに好みが変わった私ではあるが、ここの天玉そばは変わらず美味しい。寒風吹きこむ半露天のカウンターで啜る温かい一杯はどんな高級料理も敵わない。出かけるのをためらう冬の夕刻にやってきた理由のひとつはこれだった。
まだまだ語りきれていない魅力がこのお店にはあるがこのままでは“立喰いそばある紀行”になってしまうので、いつかまた別の機会にでも。

城山通りから真っすぐ小豆沢通りへ。土地勘のない方には位置関係が把握しづらいかもしれないが、板橋区志村から東に進むと北区赤羽にたどり着く。がんばれば歩けないこともないくらいの距離感だ。
板橋区から北区へ区をまたぐと古めの団地が目立ってくる。都内でも最大級の規模を誇る低層型団地群・桐ヶ丘団地だ。
戦前戦中は陸軍駐屯地、火薬庫、被服本廠など軍の施設が点在した地帯であり、昭和30年代から跡地が大規模団地として造成された。それから60年以上が経過し整理された部分も多いものの、いまだかつての面影を色濃く残している奇跡のエリアなのだ。

桐ヶ丘中央商店街の写真その1です
▲2023年10月の桐ヶ丘中央商店街

団地の賑わいの中心的な役割を果たしたのが桐ヶ丘中央商店街だ。
正面から団地棟の真下を通過して商店街に踏み入ると左右にアーケードを備えた店舗が並び、突き当りに低めの団地がそびえるシンメトリックな姿が特徴的。その時代を経験していなくても、あまりのノスタルジックさにタイムスリップでもしたような錯覚さえ感じさせる。
中央の街灯から垂らされた万国旗が賑やかだった時代を偲ばせるが、ほとんどのお店はシャッターが下りている。訪れる人影もまばらで静まり返っており、時間が停まっているようでもある。

桐ヶ丘中央商店街の写真その2です

そんな中で煌々と明かりを灯して営業を続けているのが、ひときわ懐かしい雰囲気を醸し出す『おもちゃのふくしま』。かつての団地路面店の定番スタイルはいまでも健在だ。

お店の入口と対面するようにガチャガチャや10円ゲーム機が並べられ、その中にミニアップライト筐体も1台置かれている。その郷愁を激しく揺さぶる様子に思わずスマホで写真を撮りまくっていると、店主さんと思しき方がツツっとやってきて「ゲーム、やりますか?」と声をかけてきた。ゲームセンターCXで有野課長がやってくるほどにその筋では有名店であり、一目でソレ目的と見抜いたのであろう。客あしらいも流石である。

桐ヶ丘中央商店街の写真その3です

これ幸いとお願いするとぶら下がったプラグをコンセントを差し込みはじめる。水平同期が微妙のようで何度かやり直してようやく安定。実にスリリングかつワイルドなスタイルだ。

『イー・アル・カンフー』(コナミ/1985)はもはや説明するまでもないだろう。対人戦はできないものの対戦型格闘ゲームのオリジンのひとつに数えられる名作だ。
「10円はゆっくり入れて」との指示通り、一枚一枚丁寧に30円を投入。コインが金庫に落ちる音がなんとも心地良い。8方向レバーはだいぶくたびれているがちゃんと操作可能だし、パンチ・キックボタンも軋みはあれど上々。
主人公ウーロンはあれよあれよと5人目のFeedleを倒した。アーケード版は数十年もプレイしていないはずだが、意外とイケるもんだ。心の中でほくそ笑んでいると盾持ち棍棒使いのClubにあっさり敗北を喫してしまった。中腰のツラい体勢にしてはよく戦った方だ。

ゲーム筐体の写真です

ぼちぼち閉店の準備をはじめていた店主さんに声をかけ、少しだけ話を伺ってみた。
なんでも現在の玩具店をはじめる前はゲームセンターだったそうで、「パックマン」「ドンキーコング」などのビデオゲームや何台かのピンボール、10円ゲーム多数を所有していたとのこと。40年ほど前におもちゃ屋さんに転業し、それらのゲーム機は少しずつ人に譲っていったのだそうだ。今残っているのは店頭にあるものだけで、少ないながらも実に収まりよく並んでいる印象を受ける。

格ゲーブームの頃には「ストリートファイターⅡ」(カプコン/1991)もあり、かなりの大人気だったようだ。その時々の人気ゲームが入荷したり、複数台数置かれていたビデオゲーム筐体も1台また1台と姿を消したりしながら、最後に残ったのがこの『イー・アル・カンフー』ということになる。
1台体制となってからもモニターの不調で載せ替えを行うなどメンテナンスを繰り返しながら大事に使っている。「手はかかるけどせっかく遊びに来てくれる人もいるしね」と人好きのする笑顔で話す店主さん。

おもsちゃのふくしまの写真01です

他にも『チャンスラー』(朝日産業/1978)と『NEO MINI』(SNK/1996)の新旧(?)ミニクレーンゲームが入口両脇に狛犬のごとく鎮座していたり、数本しか残されていない家庭用ゲームソフトをガラスケースで眺めたりと、周辺の雰囲気を含めたそのすべてが見どころといっても過言ではない。
そんな『おもちゃのふくしま』には夕景が似合う、と勝手に思っておりわざわざ遅い時刻にやってきたのだが、少しのんびりしすぎたためかこの日は夕陽に間に合わず。

桐ヶ丘中央商店街の写真その4です
▲写真は2021年12月夕刻の桐ヶ丘中央商店街

いつ来ても本当に奇跡のような桐ヶ丘中央商店街。
実は、運営を続けてきた桐ヶ丘商業協同組合が昨年11月に解散を決定した。これに伴い精算残務処理が行われ、2025年3月31日をもって法的にも組合組織は完全に消滅している。現在ここにあるお店は営業を続けることができるそうだが、いつまでやるかはそれぞれの店舗の事情に任せられた。
「続けられる限りはやりますよ」とつぶやく店主さんの姿が、夜の帳の下りたひと気のない商店街の様子と相まってひときわ寂しく感じられた。

断言するが、この商店街だけが持つ雰囲気を決して再現することはできない。
無くなってから行っておけばよかったと嘆くよりも、今週末にでもフラリと行ってみてほしい。
老若男女全日本人の心に何かを遺す、そんな唯一無二の場所だから。

桐ヶ丘中央商店街の写真その5です

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著者紹介
さらだばーむ

目も当てられないほど下手なくせにずっとゲーム好き。
休日になるとブラブラと放浪する癖があり、その道すがらゲームに出会うと異様に興奮する。
本業は、吹けば飛ぶよな枯れすすき編集者、時々ライター。

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