奥成洋輔のセガセガしい日々【Day8 新生SEGA AGES編④】

 SEGA AGESを再スタートするにあたって、開発依頼先の第一候補に決まったのが、有限会社エムツーだった。代表の堀井さんと初対面で意気投合した僕は、1年間で6作の開発を発注。2005年春のことである。新生シリーズ、まずは第1作、Vol.20『スペースハリアーⅡ ~スペースハリアーコンプリートコレクション~』、第2作は、Vol.21『SDI&カルテット ~SEGA SYSTEM 16 COLLECTION~』と決まった。この2本は同時発売され、今後は忠実移植タイトルも積極的に打ち出していくというメッセージをダイレクトに伝える大事なタイトルとなる。エムツーは1本あたり3か月間のペースで開発するという。プラットフォームメーカーの承認や製造にさらに2か月ほどかかるので、新生シリーズのスタートは8月発売として動き出した。

 

 各ソフトに集録するゲームについても話を詰めていった。『スペースハリアーⅡ』はシリーズ3作にマークⅢ用移植版を含めた4作、というのは前回に書いた通り。一方で、『SDI&カルテット』のチョイスについては、当時意外に思った方も多かったのではないだろうか。1987年、アーケード向けにリリースされたシューティングゲーム『SDI』と、1986年にリリースされたアクションゲーム『カルテット』のカップリングであるが、2作とも過去20年近く移植実績がなかったマイナータイトルだからだ(この2作については、その後も現在まで他に移植がないため、このソフトが唯一商品化されたものとなる)。

 

↑アーケード版『SDI』と『カルテット』の画面

 

 エムツーとしては、先行して開発していた『獣王記』と『SHINOBI 忍』を選んでもらいたかったに違いない。しかし新たにプロデューサーを引き継いだばかりの僕としては、シリーズの方針転換を一層印象付けるために、より通好みなタイトルの移植にチャレンジしてみたかったのだった。もしこのマイナーなタイトルできちんと販売実績を上げることができれば、復刻できるソフトの選択の幅はさらに広がり、SEGA AGES 2500の将来はより明るいものになるだろうという期待も込めていた。

 このソフトの収録バージョンについて、社内の有識者(全国ベスト5に入るハイスコアラーが所属していた)に確かめてみたところ、まず『SDI』のアーケード版は1本では不十分で、バージョン違いを3種収録するべきということがわかった。また『カルテット』には通常の4P用に加えて、2P専用のマイナーチェンジ版『カルテット2』があった。さらに、『SDI』『カルテット』それぞれにマークⅢ向け移植バージョンがあって、どちらも日本版と海外版両方が必要だ。などと選んでいたら、あっという間に『スペースハリアーⅡ』を超える9バージョンもの収録数になってしまった。

 

↑マニュアルに記載した『SDI』のバージョン違い。実は3種だけでなく、光過敏対策の調整版も開発して4種になっている。

 

↑変更はオプション画面で行う。

 

 集録タイトルの次は、システム部分の仕様を決める。シリーズ共通のメニュー・オプション内容をエムツーと相談し、様々なシステムを実装した。ゲームで使われるBGMとSEをすべて再生可能な「サウンドテスト」。チラシや取説、企画書に至るまで、あらゆる紙資料を閲覧可能な「ギャラリー」。自分のプレイを録画できる「リプレイ保存・再生」。上級プレイヤーによる「スーパープレイ」再生などが決められた。今ではYouTubeなどで簡単に見られる上級者のプレイ映像だが、当時はそうした動画は今ほど浸透しておらず、かつ画質も低かったので、生のゲームプレイ再生には大きな価値があったのだ。

 オリジナル版と移植版を交互にプレイできるようにする「並行プレイ」機能も加えたが、これはエムツーたっての仕様だった。これはアーケード版のプレイ途中で家庭用移植版に切り替えることができる機能で、交互にゲームを進めて違いを比較しながらプレイできる。特許登録まで行った画期的な仕様なのだが、実際に利用している人はほとんどいなかったかもしれない。その他にも480pのプログレッシブ対応など、一切の妥協のないこだわりの仕様がまとまった。

 

 対応周辺機器についても、各ゲーム向けの特殊な操作はすべてサポートした。『スペースハリアー』は操縦桿での操作を再現するために、周辺機器大手のホリへ連絡を取り、フライトスティックに対応した。『SDI』は業界でも珍しいトラックボールを使った操作を再現するために、USBマウスに対応。そして『カルテット』は4人同時プレイのためにマルチタップに対応した。加えて、立体ゲームであった『スペースハリアー3D』は、ローテクの赤青メガネ用に画像をアレンジすることで、2005年に立体ゲームを遊べるようにした。

 このように僕とエムツーのスタッフで思いつく限りの愛情をたった2500円の新作ソフトにあふれるほど詰め込んだ仕様となった。どちらか1本でも触れて貰えれば、クラシックゲームファンならきっと我々の本気度を理解し、応援してくれるに違いない。僕らはそう信じていた。

 

↑フライトスティックは当時『エースコンバット5』用により本格的なフライトスティック2が出ていたが、『スペースハリアー』には初代の方がしっくりくるので両方に対応した。この時の印象が後にメガドライブミニ2用サイバースティックへと繋がるのだが、それはまた別のお話。

 

↑『スペースハリアーⅡ』は、付録として3Dメガネを付けたかったのだが、予算の関係で赤青セロファンを初回特典として同梱した。マニュアルでは作り方をアソビン教授が教えてくれる。

 

 当時のことを改めてこうして振り返ると、僕は本当に若輩者だったと思う。開発者としても、プロデューサーとしても、圧倒的に経験不足で未熟だった。この時僕は、みんなで頑張れば努力に見合った成果が出せるし、何でも実現できると思っていた。すべての詰めが甘かったとしか言いようがない。

 まずエムツーにかかればどんな移植も簡単に実現できると信じてしまった。やりがいのある仕事をどうしても獲得したいがために、堀井さんが耳当たりの良い話をしていたであろうことや、スケジュールにバッファを持たせずに言っていることなどを一切考慮しなかった。次に、本来こうした低予算の短期間プロジェクトの場合、できるだけ中身はシンプルに、仕様は極力減らすものだということを考慮せず、やりたいことをすべてやってしまった。人生の良い面しか考えようとしない、夢ばかりを膨らませた新人プロデューサーとスケジュール管理の甘い開発会社のコンビでは、そこに無理があることを見ようとせずに進めていた。プロジェクト規模に見合わないボリュームに加え、オーバースペックな仕様を加えたことで、僕はエムツーと自分自身、両方の首を締めていた。

 

 開発は完成予定日を過ぎても終わらなかった。マスター候補であるはずのROMからは毎日数十のバグが出続けた。スケジュールは遅延し、デバッグ費用は計画の数倍に膨れ上がった。7回目のマスターが社内検収合格となったのは当初発売予定だった8月。発売予定は10月へとずれ込んでしまった。

 次に僕はプロデューサーとしてソフトを完成させる仕事とは別に、ソフトの受注会へ参加した。受注会とは、量販店の仕入れ担当から町のゲームショップの店員まで、何百人ものバイヤーとメーカーの営業担当が一堂に集まって、発売前のソフトを見てもらう展示会である。僕は完成間際のソフトとパンフレットを手に、意気揚々と受注会に臨んだ。

 

↑当時バイヤー向けに配られた2タイトルの営業用パンフレット。発売日が9月になっているが、実際に出たのは10月であった。

 

 この受注会でのソフトの反響は散々だった。バイヤーの皆さんは口々に、こんな古いゲームは売れないんじゃないのかと感想を述べた。特に『SDI&カルテット』については誰からも評価されなかった。皆こんなゲーム見たことも聞いたこともないと言い、遠巻きにソフトを一瞥するとすぐに立ち去った。客引きをして試遊にこぎつけても、『SDI』のあまりに特異なゲームシステムの前に「難しすぎる」「なんだかよくわからない」と、全く良い評価を貰えなかった。新生シリーズ2作の初回製造数は歴代でも低めの数字となった。

 しかしこんなことでへこたれてはいない。僕らが作っているのは1、2本のソフトではなく「SEGA AGES 2500」というシリーズなのだ。初動だけが結果ではない。発売後の評価が良ければリピート製造だって期待できる。僕の心は前向きだった。

 新生SEGA AGES 2500シリーズ2作は、発売を待つばかりとなった。

(つづく)

 

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おまけ:PS2版『スペースハリアーⅡ』については『ドラゴンフォース』同様、現在もPS3用PlayStation Storeにて購入可能です。

ご興味のある方は是非ご検討下さい。価格は762円(税別)です。

 

©SEGA

 

 

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著者紹介
奥成洋輔

1971年生まれ。『MSX・FAN』(徳間書店インターメディア)の編集アルバイトを経て、1994年にセガ入社。2005年以降はプロデューサーとして過去タイトルの復刻作品を数多く手掛ける。主な作品にPS2「セガエイジス2500」シリーズ、ニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」、『メガドライブミニ』『同2』など。
2022年より副業として執筆活動を開始。2023年『セガハード戦記』(白夜書房)を上梓。イラストは餅月あんこ先生。
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