【第63回】埼玉県所沢市「角川武蔵野ミュージアム」

埼玉県 所沢市東所沢。

西武池袋線と西武新宿線が交差する所沢駅、西武池袋線とJR武蔵野線の乗り換えが可能な秋津・新秋津駅などと比べると、どうしても地味にならざるをえないJR武蔵野線・東所沢駅。
“遊ぶ街”じゃなくて“住む町”であり、そもそも目立つ必要はないのだが、近年駅舎がリニューアルされるなど開発も期待されてきた。

その原動力となったのが“ところざわサクラタウン”の存在だ。
広大な浄化センター跡地を総合エンターテイメント企業・KADOKAWAが取得し、クールジャパンを旗印にどデカい複合施設を作り出した。商業店舗やホテル、イベントホールに神社などが入り、さらには出版社KADOKAWAの心臓部となる書籍製造・物流拠点も集約された。
それまでとりたてて見るところもなかった東所沢に、にわかに注目が集まることになった。

東所沢駅から北西方向にブラブラ歩いてみる。
サクラタウンへ向かう道は“所沢LEDマンホール通り”という名の通り、歩道にLEDで発行するイルミネーションマンホールが設置されている。蓋にはKADOKAWAを代表する漫画・アニメ作品のイラストが28点も描かれており訪れた人を楽しませている。各作品のファンが聖地巡礼するというだけでも結構な集客に繋がりそうだ。

マンホールの写真です

仮にもエンタメ出版業界の端っこにしがみついている私だが、マンホールに描かれた作品タイトルやキャラクター名を答えることもおぼつかない。齢を重ねると自然と趣味嗜好を絞り込むようになる。アニメの新作を追うことも、特撮を1年間録画し続けることも止めてしまった。残ったのはゲームくらいのもので、それとて非常に危ういバランスの上にあることを日々感じている。いつか興味が持てるものが何もなくなった時、果たして自分がどうなってしまうのか。漫然とした恐怖がある。

東所沢公園を抜けるとモザイクタイルの奇妙な建物がひときわ目立つ、ところざわサクラタウンにたどり着く。空が広々として気持ちがいい。
今日の目的地はこの妙な形状で圧倒してくる“角川武蔵野ミュージアム”だ。
建築家・隈研吾が設計したこの建物は図書館、博物館、美術館を内包した文化施設。アート展示はもちろん、過去からの膨大なエンターテイメントIPを持つKADOKAWAグループが運営していることもありマンガ・アニメ関連の企画展が多いのが特徴といえる。

ところざわさくらタウン外観です

40、50代のゲーム好きにとってはパソコン、コンシューマー機のゲーム情報を発信するメディアを多数有していたことで印象に残っているはず。かくいう私も、雑誌「コンプティーク」でのゲーム、漫画、小説、アイドルなど異文化カルチャーを混ぜ込んだ“メディアミックス”に影響を受けたクチだ。パソコンのアダルトゲームに開眼したのも同誌と「LOGIN」(アスキー)がきっかけだった。

のちに転がり込んだ編集プロダクションが、コンプティークで『ちょっとエッチな福袋』を企画編集した人物が代表を務める会社だったことは運命だったのかもしれない。以来KADOKAWAとは薄っすらずーっと関わりがあるようなないような、ふんわりと親近感のある企業として存在し続けている、
ここ東所沢に編集部が移転するという話を聞いた時も、「あんなトコまで打ち合わせで行くことになるのか……」と不安な気持ちになったものだ。結局そうはならなかったけど。

マイコン展の写真です

入場料を払って内部へ。
キャラグッズ満載のミュージアムショップを尻目に、本棚劇場と呼ばれる高さ8メートルの巨大本棚をほぉーと眺めてからたどり着いたのが、お目当ての企画展『電脳秘宝館・マイコン展』。

マイコン展の写真その2です

“マイコン”は“マイクロコンピューター”の略語だが、80年代あたりは“MY(自分専用の)コンピューター”の意味合いで用いられることもあった。プログラムを走らせることで様々なことを可能にするマイコンは時代の最先端を行く機械で、中流家庭の中学生にとっては高嶺の花だった。
マイコン雑誌にはプログラムもハードスペックもお値段も、数字と記号と英字とで書かれており全然ピンとこなかった。ただ「なんとなくすごい!」と感じよくわからぬままにワクワクしていた。野球で例えるなら、選手名鑑を読んで選手の情報だけを頭に入れているようなものだ。名前と所属チーム、関連情報を覚えているとより野球が楽しめるようになるアレ。

この企画展ではそんな時代のコンピューターが解説とともに展示されている。
ファーストインパクトから40年あまりコンピューターに触り続けているが、数字への苦手意識が克服できず、根っからの文系感性型人間に育ってしまったため「なんとなくすごい」の感覚だけがいまも継続している。コンピューターはいつまで経っても正体不明なブラックボックスであり、使いこなしているというより、使えるように誘導され操られている気がしてしまう。永遠のにわかだ。

マイコン展の写真その3です

マイコンへの憧れは、やはりテレビゲームへの興味と強く関係している。
インベーダーブームの頃、補導員の追跡をかいくぐるほどゲームに執着していた小学生の私は、寝ても覚めてもゲームのことばかり考えていた。ある時“マイコン”というものがあれば自宅でテレビゲームができるらしいことを知り、ついにはマイコンを持っているという噂を辿って、知り合いでも知り合いの知り合いでもない大学生の家に単身突撃し、グリーンディスプレイのMZ-80C(たぶん)を触らせてもらうことに成功した。
緑色をしたヘンな形のインベーダーを見て「すごい!」と感激すると同時に、「……なんかニセ物っぽい!」とも思ったことを強く覚えている。
あの大学生の兄さんが、結局どこの誰だったのか。その記憶がすっぽり抜け落ちている。人間というものにイマイチ興味が持てないままの現在の自分へと繋がる、全然心温まらないエピソードだ。

MZ80の写真です

1983年にワタシ的初代コンピューターとなる三菱のMSXマシン“ML-8000”を入手することになる。当時、三菱関連企業にいた父の繋がりで購入したため、選択の余地はなかった。その値段は59,800円。専用モニターもいらないキーボード一体型のホビ―パソコンで、業界的に見れば破格のお値段ではあったのだが、中学生にこんな高価なものをよく買ってくれたものだ。
父は仕事柄、この先訪れるであろうコンピューター時代を感じていたようで、息子には少しでも触らせておきたいと思ってくれたらしい。そんな想いとは裏腹に、MSXでゲームばかりしているのを母は苦々しく思っていた。極端にグレたりはしなかったものの、時折発動する素行の悪さがどうやらゲームに関係していると感じ取った母は一層ゲーム嫌悪を深めていき、大学進学で私が東京に出た瞬間、許可も取らずにMSXを処分してしまった。

ヤマハのMSXです
▲ホントは欲しかったヤマハ製MSX“YIS-503”。買ったからといって音楽の才能が培われるものでもないけど

ソニーのMSXです
▲ソニー製MSX“HITBIT HB-10”。盛んにテレビCMを打ってたのが印象的。やっぱり2スロットがよかったな……

以降、時代とともに様々なパソコンを渡り歩いてきて、今や手放すことができない機械のひとつになった。スマートフォンの性能がPCに並ぶほどになった結果、就職してからPCの扱いに難儀する新社会人が増えていると聞く。もっとも仕事に必要な機能だけであれば、しばらく使っていれば問題ないレベルにはなれるのだから、やはりコンピューターの進化には目を瞠るものがある。

かつてマイコン雑誌を食い入るように見つめ、今も色褪せない伝説のマシンたちを次々と写真に収めていく。
Windows以前までは新しいハードが登場すると、前世代機からどこが進化したのかカタログスペックを比較して心躍らせたものだ。理解が追いつかないほどの速度で発展していく様子は目眩を起こしそうなくらいだった。そんな時代から現代まで、とりあえず一通りは俯瞰できたことはたぶん幸運だったのだろう。
ただ、苦手意識を克服して積極的に学ぶことをしていたらコンピューターを巡る人生ももう少し違うものになっていたんじゃないだろうか。己の怠惰を嘆くばかりだ。

マイコン展の写真その4です

展示の一番奥には、やや唐突に『スペースインベーダー』(タイトー)の基板が入ったテーブル筐体が置かれていた。
(……これで一応は『ゲームある紀行』成立するだろ)とほくそ笑んだが、一日99クレジット分しか稼働させない方針のようでプレイすることはできなかった。
『電脳秘宝館・マイコン展』は2026年4月6日まで開催されているので、機会があったらまたぶらっと来てプレイすることにしたい。

マイコン展の写真その5です

 

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著者紹介
さらだばーむ

目も当てられないほど下手なくせにずっとゲーム好き。
休日になるとブラブラと放浪する癖があり、その道すがらゲームに出会うと異様に興奮する。
本業は、吹けば飛ぶよな枯れすすき編集者、時々ライター。

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