アルファ電子では会社側が残業食代を一部負担していました。
細かなルールはあったにせよ、これは薄給の社員にとっては非常にありがたい制度でしたね。
食事のお伺いは新人の持ち回りの仕事でしたが、これは顔と名前を覚えるのにも役立っていましたね。
今回の『知られざるアルファの世界』はそんな想い出語りです。
◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆
・ゲーム会社が9時出社というのは、当時にしてははやいように思いますが、他の会社はどうだっのでしょう?
いわゆる『9時-5時』と呼ばれる業務スタイルは一般企業のスタイルでした。
夕方の5時に終わるかは置いておくとして、カルチャーブレーンも朝は9時からでしたから、当時のゲーム業界でも珍しくはなかったのではないのかなと思います。
・18時から20時までの2時間はサービス残業という形で、働く人たちの不満はなかったのですか?
不満はありましたが、『みんなそれぐらいまでは働いている』という説明で納得していた分はありました。
実際、そこまで働かないと終わらないスケジュールでしたし(笑)。
ただ、土曜日(86~88年は土曜は休日ではありませんでした)に関しては定時の18時上がりがOKでした。
・当時のゲーム開発に対してはわりと「朝から晩まで。徹夜も当然」みたいなイメージもありますが、アルファ電子ではどんな状況でしたか?
そんな感じですね。修羅場の時期には休日返上でしたし。
まあ、中にはスタート直後から修羅場というラインもありましたが。
・残業食の人気メニューあるいは人気店はどんなものでしたか?
お店にもよりますが、破竹(はちく)という蕎麦屋のカツ丼が人気メニューでしたね。私も良く頼みました。
個人的には福一番という中華料理店のとつげき丼も好きでしたが、私の他に頼まれる方はあまりいませんでしたね。
・「カツ丼+ライス」で怒られた理由は何だったのでしょう?
暗黙の了解で頼んではいけないメニューというものがあったんですよ。
例えば800円を超えるメニュー(鍋焼きうどん等)とか、単品を付ける行為(ラーメン+餃子)とか。
破竹のカツ丼は当時600円で大盛が700円でしたからそこまではセーフなのですが、ライス単品は250円でしたからアウトゾーンなんです。





