残業時のちょっとした福利厚生

 

アルファ電子コラム第32回のカットです

アルファ電子では会社側が残業食代を一部負担していました。
細かなルールはあったにせよ、これは薄給の社員にとっては非常にありがたい制度でしたね。
食事のお伺いは新人の持ち回りの仕事でしたが、これは顔と名前を覚えるのにも役立っていましたね。
今回の『知られざるアルファの世界』はそんな想い出語りです。

◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆

・ゲーム会社が9時出社というのは、当時にしてははやいように思いますが、他の会社はどうだっのでしょう?

いわゆる『9時-5時』と呼ばれる業務スタイルは一般企業のスタイルでした。
夕方の5時に終わるかは置いておくとして、カルチャーブレーンも朝は9時からでしたから、当時のゲーム業界でも珍しくはなかったのではないのかなと思います。

・18時から20時までの2時間はサービス残業という形で、働く人たちの不満はなかったのですか?

不満はありましたが、『みんなそれぐらいまでは働いている』という説明で納得していた分はありました。
実際、そこまで働かないと終わらないスケジュールでしたし(笑)。
ただ、土曜日(86~88年は土曜は休日ではありませんでした)に関しては定時の18時上がりがOKでした。

・当時のゲーム開発に対してはわりと「朝から晩まで。徹夜も当然」みたいなイメージもありますが、アルファ電子ではどんな状況でしたか?

そんな感じですね。修羅場の時期には休日返上でしたし。
まあ、中にはスタート直後から修羅場というラインもありましたが。

・残業食の人気メニューあるいは人気店はどんなものでしたか?

お店にもよりますが、破竹(はちく)という蕎麦屋のカツ丼が人気メニューでしたね。私も良く頼みました。
個人的には福一番という中華料理店のとつげき丼も好きでしたが、私の他に頼まれる方はあまりいませんでしたね。

・「カツ丼+ライス」で怒られた理由は何だったのでしょう?

暗黙の了解で頼んではいけないメニューというものがあったんですよ。
例えば800円を超えるメニュー(鍋焼きうどん等)とか、単品を付ける行為(ラーメン+餃子)とか。
破竹のカツ丼は当時600円で大盛が700円でしたからそこまではセーフなのですが、ライス単品は250円でしたからアウトゾーンなんです。

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著者紹介
鳩野 高嗣 (はとの たかし)

フリーランスのゲーム制作者・グラフィッカー。 タイヨーシステム(カルチャーブレーン)~アルファ電子(ADK、フォンキャスト)~TENKY~dropといったキャリアを経て、現在に至る。
アルファ電子には1986年から2001年まで在籍しており、同社の黄金期から末期までの歴史・実情を知る人物である。 関わった作品は『ラギ』『痛快GANGAN行進曲』『ワールドヒーローズパーフェクト』『テニスの王子様-SWEAT&TEARS-』シリーズ、『マイネリーベ2』など多数。

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