奥成洋輔のセガセガしい日々【Day6 Mファン編集部編③】

 今回は連載第3回からのMファン話の続きです。

 

『MSX・FAN』(Mファン)1992年8月号は、7月8日無事発売となった。『スーパーバトルスキンパニック』の紹介記事が、僕の編集アシスタントデビューである。しかし当時のMファンは月刊誌だったので、8月号の校了(印刷所への最終納品作業)前に、9月号の制作が既に始まっており、感慨にひたっている暇などなかった。

 Mファンは読者投稿のコーナーが人気だという話は前回書いたが、一番人気はというと、「FAN SCOOP」という新作ゲームの発表記事だった。ほかに続報や発売済みのゲームを深堀りする「FAN ATTACK」というコーナーがあり、この2つのゲーム記事が雑誌の巻頭を飾っていた。僕が担当した『スーパーバトルスキンパニック』も「FAN ATTACK」の記事だ。1983年にデビューしたMSXは、同じ年に発売されたゲーム機であるファミコンにも負けない数のタイトルが、毎月毎月、とにかくたくさんリリースされていた。

 全盛期は、パナソニックのFS-A1やソニーのHB-F1といった廉価MSX2がリリースされた1986年秋以降の4年間だろう。ファミコンとディスクシステム(1986年発売)両方の値段を足したのと同じ、わずか3万円弱の価格で、ファミコンでは遊べなかった高度なパソコンゲームを遊べることが、当時の子供にとってはプログラムの勉強ができること以上の最大の購入動機だったに違いない。

 

↑1986年10月時のFS-A1のチラシ(松下電器)

 

 Mファンが創刊したのも、まさしくこのタイミングである1987年の春だった。「ファミマガ」の兄弟誌らしく、ページの多くはゲーム紹介に割かれ、「FAN SCOOP」と「FAN ATTACK」の両コーナーはいつも誌面をにぎわせていた。ところがMSXの人気は、スーパーファミコンが発売された1990年あたりから急速に落ち込み、それに呼応して市販のゲームソフトのリリースも瞬く間に減っていった。僕が編集部に加わった1992年中盤には、新作ゲームを発売する大手メーカーは、もはやマイクロキャビンとブラザー工業の2社しか残っていなかった。

 当時の誌面を飾っていたゲームは、『プリンセスメーカー』(マイクロキャビン)、『キャンペーン版大戦略Ⅱ』(マイクロキャビン)、『蒼き狼と白き牝鹿 元朝秘史』(光栄)といったシミュレーションゲームだ。こうしたジャンルはMSXの得意とするところで、専任担当による攻略記事が長期連載されていた。そこへきて僕は、なんとあの『シムシティー』の記事担当に任命された。待望のMSX新規参入メーカーによる、大作シミュレーションゲームである。

 発売元は「イマジニア」。『フィットボクシング』シリーズなど、今も人気ゲームソフトを発売している人気メーカーだ。ファミコン時代の『銀河伝承』や『消えたプリンセス』の、やけに大きな黄色い紙箱と、同梱されていた歌入りカセットテープの戸惑いのことを思い出す人の方が多いかもしれない。

 1992年当時のイマジニアは、スーパーファミコンの本体と同時期に発売した『ポピュラス』が大ヒットして以降、海外のさまざまなシミュレーションゲームの日本向け移植を積極的に展開する、硬派なメーカーとして有名だった。『シムシティー』についても、既にPC-98版が発売されて人気を博していた。そんなイマジニアがMSXに参入してくれるのだ。編集部としても大きな期待を寄せた。ソフトの発売はこの時点では8月下旬予定とのことで、直前となる9月号(8月8日発売号)では4ページが用意された。

 生まれて初めてゲームメーカーへ行ったのも、このイマジニア取材が最初だ。編集長に連れられて、新宿副都心の高層ビルの応接室へ通された。そこで担当者からの参入に関する意気込みのコメントを貰えたものの、肝心の開発中ゲームは、原稿の締め切りまでに借りることができなかった。結局僕はMファン編集部の隣りにあった『テクノポリス』編集部にあったPC-98版を使ってルール紹介の記事を書き、この号はお茶を濁すことになった。

 

 本番はソフト発売後の10月号だということで、次号ではさらに増ページして6ページものボリュームが与えられた。こうなると画面写真だけでは記事の彩りに欠けるからと、初めてプロのイラストレーターへイラストを発注するという仕事も経験させてもらった。

 イラスト発注の段取りはこんな感じだ。まず自分でレイアウトを切りながら、使用する絵の種類と点数を決める。今回はプレイヤーである市長の成長や、さまざまな災害イベントなどの絵をイラストレーターへ発注した。数日後、イラストレーターの住む町まで電車で絵を受け取りにいく。当時はもちろん全部アナログ仕事だ。駅前の喫茶店でイラストレーターと待ち合わせると、コーヒーを飲みながら本人の前で納品物のチェックをする。これは絵を描いた本人はもちろんだが、発注した僕自身もめちゃくちゃ緊張するものだった。精一杯絵について褒めた気がする。

 次は肝心のソフトのプレイと画面撮影。締め切り間際になって、ようやくサンプルディスクを借りることができたのだが、これが大問題だった。ソフトを起動すると都市の画面が出るのだが、一切操作することができなかったのだ。数十分ほど放置していると建物が徐々に壊れていくので、ただの静止画ではないことはわかったが、ほとんど何もできていないに等しいものだ。発売延期は間違いなかった。仕方なく今回もPC-98版を使って記事を作成した。間もなくソフトの発売が年末まで延期となる連絡が届いた。

 

 幸いにして、2号続いた『シムシティー』特集の反響は大変高かったのだが、残念ながらその後編集部にサンプルディスクが届くことはなかった。僕が最初の記事を書いてから半年後の1993年1月末、3月号の校了を終えたばかりの編集部にMSX版『シムシティー』発売中止の報が届いた。

 

 この報は次号(1993年4・5月号)の記事になり、イマジニアへの取材も再び行われたが、新人には荷が重いと判断されたか、この記事を僕は担当していない。そして、奇しくもこの号で、「MSX・FAN」が月刊から隔月刊となることが告知された。刊行ペースが2か月に一度になるということだ。

 

 MSX向け新作ゲームソフトは、1992年10月にブラザー工業から『ブライ下巻完結編』が、そして1993年3月にマイクロキャビンから『キャンペーン版大戦略IIかすたまキット』がリリースされ、2社もMSXから撤退となった。僕は、ファミリーソフトの『龍の花園』(『同級生』ライクな学園アドベンチャー)や『MSXトレイン』(ミニゲーム集)の紹介記事を担当させてもらったが、市販のゲームソフトもこれらが本当に最後で、ゲーム紹介記事担当だった僕は開店休業となった。

 仕事の減った僕は、新たに読者コミュニティの「ゲーム十字軍」、新作ゲームサントラCDやビデオを紹介する「GM&V」などを担当させてもらうことになった。

 

「ゲーム十字軍」は、読者のプログラム以外の投稿を掲載するページで、さまざまなコーナーがあったが、その中に「桃色図鑑」という不定期連載があった。元々はその名のイメージ通り、エッチなゲームのビジュアルシーンを紹介するお色気コーナーなのだが、新作もないので、もはや何をやっても構わないという方針転換の許可を貰って、自由に書かせてもらえた。

 北根編集長からは「せっかく美大で映画を学んでいる奥成君が書くんだから、なにか映画の話も入れたら?」とも助言をいただき、記事に合わせて毎回1本ずつ好きな映画を紹介したのも楽しい思い出だ。

 例えば1992年12月号掲載の「夢の学園生活ヴァーチャル体験」と言う記事。新作ゲームである『龍の花園』を中心に据えつつ、学園を舞台にした歴代のゲーム、例えば『電脳学園』とか『ベロンチョ身体検査』、『恋の平均台(ピンクソックス4)』らのお色気シーンを並べてみた。そして記事の最後には、僕の大好きなジョン・ヒューズの映画『フェリスはある朝突然に』を紹介するコラムを載せる、という具合だ。

 

 特に気に入っている回は、1993年3月号掲載の、映画『ブレードランナー』に絡めた記事「おしゃべりフレイちゃんは電気羊の夢を見るか?」。『ザ・タワー・オブ・キャビン』の中にあった「おしゃべりフレイちゃん」という「人工無能」会話ゲームをひたすら遊ぶだけの記事だ。

 

 なかでも「人工無能」を一躍有名にした伝説のソフト『エミーⅡ』の「エミー」との対談を、2台のMSXを使って実現させた記事は、当時は会心の出来だと思った。一部を抜粋して掲載する。

 

フレイ「どう? 元気でがんばってる?」

エミー「お久しぶりね。わたしさみしかったわ」

(中略)

フレイ「朝日って気持ちいいよねー」

エミー「(気持ちいいことなら)もっと2人の間が親密になってからならいいわ」

フレイ「あなたっておもしろい人ね」

エミー「ばいばい」

 

 2人の個性がうまく出ていて、めちゃくちゃ面白い対談になった! と思っていたのだけど、記事の反響は全くというほど無かったので、多分今この瞬間も、読者の皆さんが反応に困ってそうな気がしないでもない。

 ともかくこんな感じで好き勝手なコラムを書かせてもらったおかげで、今も文章のお仕事をいただいているのだからありがたいことである。

 

 最後に、もう一度『シムシティー』の話に戻る。Mファンの記事中では「開発が遅々として進まないため、プログラマとの契約を解除した」とされていた中止の理由だが、このコラムを書くためWikipediaを見てみたところ、「開発を担当していたプログラマが開発途中で逃亡」と、一見同じようで違うことが書かれていた。なんだかWikipediaのほうは、より切迫した空気が伝わってくるが、僕も真相は知らないのでこのまま謎の深いソフトとして記憶にとどめておこう。

 

*記事に一部誤りがございましたので修正させてもらいました。「おニャンコTOWN」→「消えたプリンセス」。

 

 

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著者紹介
奥成洋輔

1971年生まれ。『MSX・FAN』(徳間書店インターメディア)の編集アルバイトを経て、1994年にセガ入社。2005年以降はプロデューサーとして過去タイトルの復刻作品を数多く手掛ける。主な作品にPS2「セガエイジス2500」シリーズ、ニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」、『メガドライブミニ』『同2』など。
2022年より副業として執筆活動を開始。2023年『セガハード戦記』(白夜書房)を上梓。イラストは餅月あんこ先生。
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