【第52回】愛知県西尾市「天野ゲーム博物館」

愛知県西尾市城崎町。

早朝から動き回ったわりに思ったように成果が上がらず、ゴールデンウィークとは思えぬ暑さもあってすっかりグロッキーとなってしまっていた。まだ14時前なので時間はたっぷりある。さりとてあちこち歩き回る気力も体力もない……となると、これは一気にゲーム成分を吸収できるアソコしかない。

西尾駅前です

そんなわけで名鉄名古屋駅から急行に乗ること50分。途中乗換なしで到着したのが西尾駅だ。
東京で例えるならば、JR東京駅から中央線の中央特快で八王子駅までが乗換なしの52分なので体感的にはそのくらいの感じ。座席に腰を下ろした途端眠気に誘われ、ウツラウツラとしながら運ばれたおかげで体力ゲージもいい具合に戻ってきていた。

改札を出てもまだ寝ぼけており意識も曖昧だったが、何度か来ている道を間違わずにたどり、目的の『天野ゲーム博物館』に到着する。
以前は店頭のガラス窓に特徴的な文言が書かれたオレンジ色の紙が所狭しと掲げられていたが、それも取り外されたようでスッキリとした外観になっていた。自動ドアを開け店内に一歩踏み込むと、身体全体をワッと電子サウンドが包み込んだ。一瞬にしてあの頃のゲーセンに戻ったような感覚に思わず身体が震える。

天野ゲーム博物館です

『天野ゲーム博物館』ではなく、『天野スポーツのゲームコーナー』(天スポ)という名称のほうが馴染み深い方もおられると思う。その名の通り元々はスポーツ用品店の一角に設置されたゲームコーナーが母屋を乗っ取る形で発展していったゲームセンターで、規模の拡大とともにゲームの得点を競うハイスコアラーが集うお店となっていったという。
アーケードゲーム情報誌「ゲーメスト」(新声社)では、全国のゲームセンターからハイスコアが寄せられ、その集計で毎月のトッププレイヤーを決めるページがン人気を博していた。『天スポ』はこの集計システムが正式にスタートした創刊第3号(1986年9月/山瀬まみが表紙)から集計店として名を連ねている。その後ハイスコア集計に参加するお店は一気に増加することになるが、その時点では愛知県でたった2軒しかないうちの1軒だった。

ゲーメスト記事です

ゲームセンターとしては少し変わった店名とハイスコア競争の老舗強豪店という印象でなんとなく私の記憶に残っていた『天スポ』だったが、アーケードゲームの衰退とともに徐々に雑誌への興味が削がれ、また社会人として仕事に埋没する日々がはじまり自然と意識の奥深くにしまい込まれてしまった。
そんなある時、SNSで流れてきた記事でお店がまだ存在することを知り、たまたま名古屋で用事があった際に初めて訪れたのが2013年のこと。

まず、入口のすぐ脇にある『ハングオン』(セガ/1985)のライドオンタイプに度肝を抜かれる。この前々日に訪れた犬山市の「ゲーム博物館」(当時)で同じライドオンタイプに出会っていたため「愛知には2台も現存するのか…!」と余計に感動したことを鮮明に覚えている。
そして現在も『ハングオン』はお店のシンボルのようにその場所に鎮座している。
稼働するゲームは『ハングオン』ではなく『スーパーハングオン』(セガ/1987)。スーパーチャージャーボタンがないため、ひときわ難しく感じる。

ハングオン筐体です

店内には所狭しと筐体が並べられており、ひとつひとつゲームを確認していくだけでひとしきり盛り上がれる。定期的にゲームの入替えも行われているようなので、何度来ても新鮮な感動を与えてくれるのが嬉しいところだ。
また、稼働しているゲームだけでなく、セガのアストロシティやカプコンのQグランダム、SNKのNEO 25、HYPER NEOGEO 64などキャビネットの多彩さも見どころのひとつ。これらの筐体も基板も当時からの在庫を修理・調整しながら大切に使い続けている様子が見て取れる。

ゲーム筐体の写真その1です
ゲーム筐体の写真その2です

店内の一角には修理工房のようなエリアがあり、時折作業をしている様子が見受けられる。かつて訪れたとき、物珍しそうにあちこちをキョロキョロと眺めていた私にそこから話しかけてくる人がいた。それがこのお店のオーナーの天野館長だった。
東京から来たことを告げると館長は、日本全国からこのお店にやって来てくれるのが本当に嬉しいんだよとニッコリと笑顔をのぞかせた。その日はたまたま人が少なかったこともあり、長々とお話をさせていただいた。たっぷりとゲームも堪能し、帰り際には、またいつでも来てよと送り出してくれたあの日をを昨日のことのように思い出す。
天野館長は数年前から療養のため、お店に立つことがなくなったようだが、ボランティアスタッフの協力のお陰で土日をメインに営業を続けている。館長の人柄に惚れ込み、愛着のあるお店を支えたいという一心でお店を開けてくれるスタッフの方々の心意気には本当に頭が下がる思いがする。気さくに声をかけてくれた屈託のない笑顔の館長と再び出会える日が来ることを心から願っている。

そういえば、初めて来た頃は奥の一角の扉がロックされており、館長の審査を経ないとその部屋には入れない仕組みになっていた。審査というと厳つい感じもするが、要はゲームを大事に扱う人物なのかどうかを見られていたように思う。楽しそうにゲームの話をする私を見てたぶんコイツは大丈夫だろうと思ってくれたのか、カードキーを渡され中に入ることが許された。

ゲーム機の写真です

厳粛な面持ちで扉を開くと、中には『ダライアス』(1987)、『ニンジャウォーリアーズ』(1988)、『ダライアスⅡ』(1989)、『ウォリアーブレード』(1992)という歴代のタイトー複数画面大型筐体タイトルがズラリと並び、同じくタイトーの『スピードレース CL5』(1979)がオリジナル筐体で置かれているのに度肝を抜かれた。また、テーブル筐体では80年代のゲームを中心にプレイすることができた。この部屋の外にあるゲームもその頃すでに貴重なものばかりだったこともあり、その区別はよくわからないところもあったが、許可制の特別区画に入れるというワクワク感は間違いなくあった。
現在はそのエリアも開放され、誰でも自由に立ち入ることができるようになっている。今回は『スペースハリアー』(1985)、『チェイスH.Q.』(1988)、『サイバリオン』(1988)などが置かれており、こちらも時々入れ替えが行われているようだった。タイトー作品が多いような印象だが、実際はそういうわけでもない。

 ゲーム機の写真その2です

レバーを使用する王道アーケードゲームがフロアの大部分を占める中、麻雀ゲームが1、2台そっと置かれているのも特徴的。
以前来た時は『麻雀 スーパー(禁)版』(ユウガ/1990)が、今回は『麻雀刺客』(日本物産/1988)が稼働し、常にお客さんが張り付いている密かな人気タイトルとなっていた。

こうして設置タイトルの発売年を洗い出してみると、1985年から1992年という限定的な期間の誰もが知るメジャー作品であることに気づく。年代により思い入れは様々だろうが、アーケードゲームの全盛期がそのまま集結していることが『天野ゲーム博物館』が支持される理由だろう。アクションあり、シューティングあり、パズルあり、大型筐体モノそして麻雀に至るまで、あの頃のゲームセンターを余す所なく再現しているのだ。

ゲームデモ画面です
ゲーム筐体の写真その3です

東京、大阪にもレトロアーケードゲームをメインに扱うお店が何軒かある。置かれているゲームは当時のものには違いないが、2000年以降にオープンした専門店的な立ち位置が多い印象だ。賃料が高い繁華街の中心エリアでは1プレイ100円での営業だけではもはや成立し得ないなか、それぞれに工夫をこらして生き残りを図っている。
『天野ゲーム博物館』はゲームコーナーとして生まれ、80、90年代の勢いと熱気があふれる黄金期を通過し、新たな層を巻き込んだ格ゲーの時代を経て、産業の宿命のように斜陽となっていった空気をまといながらもいまだそこに在りつづける“奇蹟”の存在だ。
もちろん郊外にある個人経営店にはまた異なる難題が山積しているのだろうし、このスタイルをインカム営業だけで成立させるのがどれほど困難なことか、2025年の私たちレトロゲームファンは痛いほど知っている。
“奇蹟”などに頼らざるを得ない状況に暗澹たる気持ちになり、文化とは一体なんなんだろうとつい悪態が口をついてしまう。例えゲームそのものは残っても、それを育んだロケーションはいずれ過去のものとなる運命なのか。

さて。
せっかく西尾まで来たしもうひとつの名物にも会っていこう。
全国生産量の約20%を占める愛知県西尾市一色町で養殖される地域ブランド“一色産うなぎ”だ。
『天野ゲーム博物館』を出て、前の道路を渡り左手に歩いていくと『うなぎ 平井』がある。こちらでは一色産うなぎを2000円代という比較的安いお値段でいただくことができる。もちろん安いだけでなく、ふっくらと柔らかくほぐれるうなぎの蒲焼とあっさりしながらも強さを感じるタレは、ここまで来た甲斐がある満足感をしっかり与えてくれるオススメの逸品だ。

うな丼の写真です

西尾駅から名古屋方面へと戻る列車では毎回後ろ髪が引かれる思いがする。とりあえず名古屋に戻って、今晩どこへ泊まるか検討する必要があるので致し方ない。いずれまたこの地を訪れる日が今から楽しみでならない。

まずは名古屋駅で明日の新幹線のチケットを買っておこう……と思ったら、明日はゴールデンウィーク最終日ということもあり、昼以降の新幹線の座席は夜までひとつも空いてないことが判明。朝の便ならかろうじて席はあったのだが、明日なにも出来ないのでは泊まる意味がまったくない。調べてみると、今日の21時過ぎの新幹線の席は確保でき、それに乗れば最終電車手前で自宅の最寄り駅までたどり着くらしい。

最後の最後までゴールデンウィークにはしてやられ、憮然とした表情で東京行きの新幹線に乗り込む。
ホント、ゴールデンウィーク遠征はもうコリゴリだ。

 

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著者紹介
さらだばーむ

目も当てられないほど下手なくせにずっとゲーム好き。
休日になるとブラブラと放浪する癖があり、その道すがらゲームに出会うと異様に興奮する。
本業は、吹けば飛ぶよな枯れすすき編集者、時々ライター。

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