【第48回】東京都台東区「喫茶ブロンディー」~「ロッジ赤石」など

東京都台東区浅草。

~ ここまでのあらすじ ~
このエッセイの著者・さらだばーむは浅草にある“筐体喫茶”を巡るだけでは能がないと考え、ホッピー通りで呑んでは喫茶店に行くという行為を繰り返すことを思いつく。ただ、酒にはめっぽう弱いため、ゲームに全く興味はないが浅草で飲みたいと言っていた友人を召喚し、無理矢理巻き込むことに。2軒の呑み屋と2軒の喫茶店をこなし、3軒目の呑み屋から後半戦はスタートするのであった。
詳細は前回をご確認いただきたい。

もつ煮です

もつ煮込みの2種盛りを交互につつき回しながら、グイグイとハイペースでホッピーを流し込んでいく友人。今度こそは酔いを覚ますまいとする気迫を感じる。彼の中ではこのゲームを攻略するにはどうするべきかという戦いが始まっているようだ。安心しろ。次の目的地はここから極めて近いところにある。

ホッピー通りの一本西側を通っているのが六区ブロードウェイ商店街。1800年代後半に誕生した「浅草公園地第六区」は演劇場、活動写真館、オペラ劇場などが立ち並ぶ一大歓楽街であった。“浅草十二階”の名で親しまれた凌雲閣があったのもこのあたりだ。太平洋戦争の東京大空襲で一帯は壊滅的な状況となるも、再び演芸場などが建てられ、当時最先端の芸能の地として復興していく。
紆余曲折を経て現在も浅草演芸ホール、浅草フランス座演芸場東洋館、浅草ロック座などの小屋は健在で、昨今の演芸ブームなどもありにぎわいを取り戻しつつある。

そんな浅草で活躍した芸人たちが愛した喫茶店が、東洋館裏手にある『喫茶ブロンディー』。
ビートたけしの著書『浅草キッド』に登場したり、コント55号時代の萩原欽一がモーニングセットを好んで食べていたなどという逸話も残る歴史ある純喫茶として知られる。
私が『ブロンディー』に初めて入ったのは、浅草をウロウロしてた時の小休憩としてだった。少し薄暗くて落ち着くが、煙草の紫煙が充満する中には苦み走った顔の男性客しかおらず、張り詰めた雰囲気に少し気圧された記憶がある。

その奥の方にテーブル筐体があった。『スペースインベーダーDX』(タイトー/1994)にまたまた出ました『赤麻雀』(パラダイス電子/1990)。8ラインスロットの『CHERRY BONUS 5』(DYNA/1997)もいかにもという感じ。
その頃はまだ喫茶店のゲームにそれほど注目していなかったので、ただ漠然と懐かしいなと感じたくらいだったが、後に筐体喫茶を回るようになって改めてその渋さに唸ったものだ。

かつてはよく見かけた、入口横にタバコ販売の窓が設置されている喫茶店もいまでは珍しい。私は煙草を吸わないが、世代的にだろうか喫煙可の喫茶店に抵抗はない。逆に店頭にタバコ販売窓口があれば嫌煙者が間違って入店することもないし、看板代わりなのかもしれない。
看板といえばこの喫茶店、やたらと店名表記が揺れているのも特徴のひとつ。2025年現在、入口に大きく掲げられているのは『喫茶ブロンディー』で、その下に小さく『珈琲の店 ブロンディー Cafe & Smoke』とある。さらに前の時期は『純喫茶 ブロンディ』だった。入口の自動ドアに書かれているのは『珈琲・スナック ブロンディ』。おまけに言えば食べログでは『ブロンデイ』と“イ”が大文字になっている(検索時に困る)。ある時期は“ブロンディー”の文字より“IQOS”の文字がはるかにデカく、とうとうタバコ専門店に宗旨替えしたのかと思ったくらいだ。細けぇこたあいいんだよ、という江戸っ子の気風なのだろうか。

ブロンディ外観です

だいぶ日が傾きはじめた六区ブロードウェイ商店街を突っ切り、『喫茶ブロンディー』の前まで来てみたのだが、なにやら様子がおかしい。電飾看板が入り口を塞ぐように立てられており、よく見れば“準備中”の札が出ているではないか。以前は23時まで営業していたが、コロナ禍以降は20時終了となっていたので時間的にはまだ大丈夫なはず……。
ヒョイと中を覗いてみると奥の方に人が集まっておりなにやら集会が行われている様子。つまりこれは貸し切り閉店というやつだ。うーん、残念。

仕方ないので、以前に訪れた時の写真を上げておこう。クリームソーダならぬソーダフロートがいい感じなので、お越しの際はぜひお試しを。

ボロンディー店内その1です
ボロンディー店内その2です

さてそうなると、次なる一手は……。
歩き出した方向は、またしてもひさご通り方面。本日3回目となる千束通りに差し掛かった時、さすがに業を煮やした友人から猛抗議を受ける。
まあぁまぁお怒りはごもっともですよネ、などとなだめすかしながら入店したのは、こちらも純喫茶の名店『ロッジ赤石』。
壁のレンガとそこに掛けられた幾つもの振り子時計。そのすべてが止まっているのは、このお店がかつての深夜を抜け早朝までの営業だったことの名残かもしれない。先程の『ブロンディー』と同じく、現在の営業終了時刻は20時前後とかなり短縮されてしまった。夜の街として栄えた浅草周辺も今は昔。

ロッジ赤石外観です

こちらはフードメニューにも定評があり、特にナポリタンがおすすめ。しかし今日はすでにお腹が満たされていることもありブレンドコーヒーにとどめておく。
そして店内に置かれたテーブル筐体は『麻雀カフェドール』(DYNA/1993)と『麻雀イフ…?』(DYNAX/1990)の2台。ただいつ来ても稼働する姿を見たことがない。動くかどうかはもはやわざわざ訊ねないで、いつか偶然働く様子に出会えたらいいなと思っている。

ロッジ赤石店内です

この筐体喫茶巡りで1日3回も来てしまった浅草千束通り商店街だが、この通りにはかつて「ゲーム博物館」があったことをご存知だろうか。
1992年8月にオープンしたそのものズバリ「ゲーム博物館」は、ファミ通、BEEP!メガドライブなどでライターをしていた渋谷洋一氏が店長を務め、ゲームコレクターとして知られた漆原龍之介氏がオーナーとして運営していたゲームセンターだ。35坪の店内に85台ほどの筐体が並べられ、90年代当時にしてレトロゲームを主眼としたラインナップでマニア客の度肝を抜いた。

1992年といえば、スーパーファミコンが発売されて2年が経過した頃。アーケードゲームでは『餓狼伝説2』『龍虎の拳』『ストリートファイターⅡ’』と格闘ゲームが盛り上がりを見せはじめ、やがてあらゆるゲームセンターを席巻していく前夜だ。
BEEP!メガドライブ誌上では、渋谷・漆原コンビによる『BINARY ANALYSIS TVゲームの歴史』という70年代からのアーケードゲームを掘り下げる連載が始まった時期でもあり、その時代のゲームをプレイできる場所はすでに希少となっていた。

BEEPメガドライブの記事です
※BEEP!メガドライブ 1992年12月号より引用

その頃から、すでに現役を退いた時代遅れの古いゲームに魅力を感じていた私や仲間たちは「ゲーム博物館」開館の情報を聞きつけると喜び勇んで浅草の奥地を訪れた。
手元の資料によると『スペースパニック』『ミサイルコマンド』『バルーンボンバー』などの名作や、ナムコ特集と称して年代ごとのナムコ作品を並べるなどしていたようだ。店内には作品リストが掲げられ、有料で基板入れ替えの要望にも応えていた。
「ゲームセンターあらし」に登場したわりに出荷数が少なく近年特にレアモノ扱いされる『ドラキュラハンター』がプレイできたのは後にも先にもこのお店だけだった。個人的にはかなり面白いゲームで、夢中になってプレイした記憶が残っている。

そんな夢のような空間だった「ゲーム博物館」も、かなり千束通りの奥まった場所にあったことも影響してか、営業的には苦戦を強いられたと思われる。短い期間で店を畳み、東急目黒線の西小山駅に拠点を移したと聞いた覚えがある。それ以降、千束通りを歩くたびにこのことを思い出すが、お店の場所の記憶も曖昧になりもはや本当にあったのかどうかすらうっすらとしたおとぎ話のような感覚になりつつある。
この近辺の筐体喫茶にあるテーブル筐体がそれより前から置かれていて、今現在もそこに存在するということはちょっとした奇跡なんだなと感じずにいられない。
変わりゆくものと留まるもの。30年以上経っても同じようにレトロゲームを追いかけ回してる自分は、ただ留まっているだけなのだろうか。

ひさご通り外観です

『ロッジ赤石』を出ると、とっぷりと日が暮れていた。
とりあえず浅草の筐体喫茶巡りはこれで一段落ということでホッピー通りへと引き返し、安心して呑みモードに入った友人と盃を交わしてから、帰り際にせっかくなのでと『浅草バッティングスタジアム』を冷やかす。
1階はタイトーステーションだが、どうせそちらには今どきのゲームしかない。今日はとにかく古めのゲームだけに触れていたい気分。

ゲーム筐体の写真です

バッティングの快音を響かせる店内の奥の方に筐体が見えた。
近づいてみると『ぷよぷよ』と『ストリートファイターⅡ’』だった。共に「ゲーム博物館」と同じ1992年にこの世に誕生したアーケードゲーム。偶然にしてはちょっと出来過ぎだ。

ほろ酔いでストⅡ’をやると春麗にあっという間に負けた。

浅草寺の参道を抜け、東武浅草駅へと向かう新仲見世から浅草地下商店街へと潜る。
日本最古の地下街となったココもかなりの老朽化が見て取れる。足元には地下水が湧き出し、ところどころに水たまりを作っていた。それでもこの味わいある雰囲気を好んでか、観光客がひっきりなしに通り過ぎていく。

その一角に最近できたカフェ&バー『ドライブイン電電』のキラびやかな店頭で、ポン菓子をトッピングした電電シェイクを食べながら浅草巡りを締めくくった。

電電シェイクです

アーケードゲームという視点から眺める浅草もなかなかオツで趣深い。
一時の栄華を誇ったこの街に、短期間で盛りを駆け抜けたアーケードビデオゲームはひどく似つかわしいように思える。
私は結局、寂れゆくものにどうにも惹かれてしまう性分のようだ。

地下商店街です

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著者紹介
さらだばーむ

目も当てられないほど下手なくせにずっとゲーム好き。
休日になるとブラブラと放浪する癖があり、その道すがらゲームに出会うと異様に興奮する。
本業は、吹けば飛ぶよな枯れすすき編集者、時々ライター。

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