遡ること半世紀以上。当時は「花札・トランプの老舗」として知られていた任天堂ですが、1960年代後半から70年代にかけては、生き残りをかけて多種多様な玩具を世に送り出していました。
横井軍平氏が手掛けた「ウルトラハンド」や「ラブテスター」は有名ですが、まさか任天堂が「わたあめ機」を作っていたことは”知る人ぞ知る”マニア情報です。
この度、群馬県高崎市のお客様より、奇跡的なコンディションの未使用品『キャンデーマシン』をお譲りいただきました。
2026年の今、56年前の遺産(レガシー)を紐解く貴重な機会。ぜひお付き合いください。
『キャンデーマシン』とは
本製品は、1970年8月に任天堂より発売された、家庭でわたあめ(わたがし)が作れるクッキングトイです。
当時の販売価格は2,980円。現在でもおもちゃ屋で見かける、回転するトレイの中に棒を入れてかき回す、あのスタイルの先駆け的な存在です。
わたあめ機のルーツは1897年のアメリカにありますが、日本では明治末期から大正にかけて普及しました。
当時店先に置かれていたわたあめ機を、各社玩具メーカーが商品化していきます。タカラやトミーも家庭用をリリースしていますが、当時の任天堂もその一社だったようです。
中央の回転皿に砂糖(ザラメ)を投入し、熱で溶解。遠心力で空気中に放たれた瞬間に冷えて糸状に固まるという、シンプルながらも科学の不思議を感じさせる設計です。
注目ポイント
まず目を引くのはその商品名。
現代風の「キャンディー」ではなく、どこか懐かしい響きの「キャンデー」。
この一文字に、昭和40年代の空気感が凝縮されています。
説明書に描かれたキャラクターは、某有名菓子メーカーの二人組を彷彿とさせる愛らしいタッチ。

トレイの中央には、誇らしげに「Nintendo」のロゴが刻印されています。実はこのロゴの書体が使われ出したのは1967年なんですが、全然古さを感じないデザインに仕上がっています。
また、『ウルトラマシン』などで短期間使われた「ng」ロゴ(1965-1967)が併記されているのも、マニアにはたまらない点といえます。
そして最大のポイントは、お譲りいただいた品は未使用のデッドストック。
付属のザラメ(約60年前のもの!)がパッケージ越しに溶け出し、独特のペタつきを見せていました。
この「封印された時間」が漏れ出している感じ……なんだか核戦争後の世界を旅する『Fallout』の主人公になったような気分でワクワクしてしまいますね(笑)
当時の任天堂と大逆転の変遷
1970年頃の任天堂は、まさに激動の時代でした。
『キャンデーマシン』同年に発売された『光線銃シリーズ』は、玩具としては異例の大ヒットを記録。
その勢いでアーケード事業(レーザークレー)へ進出しますが、1973年のオイルショックが直撃し、50億円近い巨額の赤字を抱えることになります。
しかし、この危機がなければ、後のアーケードゲームへの完全転換もなかったかもしれません。
この時期に培われた電子回路のノウハウが、後の『ドンキーコング』や『カラーTVゲーム』、そして『ファミコン』へと繋がっていくのです。
当時はレゴに対抗した『NBブロック』(1968-1972)やパズル『チャレンジダイス』(1969)など、他社の人気ジャンルに挑戦しつつ、オリジナリティを模索していました。
横井軍平氏や宮本茂氏といった伝説的なクリエイターたちがキャリアをスタートさせたこの時期。
まさに「何でも作る」という雑食性が、現在の「遊びのプロフェッショナル」としての土台を作ったと言えるでしょう。
まとめ
今回お譲りいただいた『キャンデーマシン』も含め、歴代の任天堂製品の多くは、京都にオープンした「任天堂ミュージアム」でもその姿を見ることができます。
BEEPでは、ファミコン以前の「任天堂のおもちゃ」も積極的に買取しております。
「実家の納屋から変な任天堂の箱が出てきた」「光線銃やウルトラハンドをコレクションしていた」などなど…
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