PC6001TinyProject Hashi氏

パピコンこと、NEC PC-6001シリーズ TinyProject Hashiさん登場!

パソコンがまだ「家電」レベルで浸透していなかった1981年。高嶺の花であったパソコンをより普及させようと入門レベルのパソコンを各社開発販売した頃、NECはPC-6001という「パピコン」を発売した。この年一番の低価格でありながら家庭用テレビに写す事が可能で前年のZX80やVIC- 100よりは高い価格ながらもPC-8001シリーズ等で既に確固たる地位を築いていた国産NECの安心感もありヒット商品となりマイコン少年のハートをがっちり掴むのであった。
そのマイコン少年も、30年が経過し、いまでは30~40代の方も多い。
インターネットの登場でtwitter、オークションなどで懐かしいアイテムの情報交換や、アイテム入手もそれなりに行える昨今、様々な機種のコミュニティやサイトが存在している。今でも昔慣れ親しんだり、憧れだった機種を現役で遊ぼうという趣向の好事家達である。
今回ご登場願うのは、その「パピコン」コミュニティ「TinyProject」代表のHashiさんである。Hashiさんは既にPC-6001を題材にしたPC6001note vol2 / vol3をいずれも刊行しており、また名作Tiny xeviousの作者 松島氏が製作したパピコン風ゲームの特攻空母ベルーガを西田ラヂオさんがPC-6001 ROMカセット版にしたものをTinyProjectメンバーでテープ版としてパッケージリリースしたり単純に懐かしい話題としてのPC-6001ではなく、現行のユーザーとして製作や話題作りをされている方。twitterではパピコン関連ツィート数も多い氏ですが、そのパピコンとの出会いから現在までを語ってもらいました。ではどうぞ。 (B)

Q1 P6との出会いから現在までを語って下さい。もしP6以前にマイコン歴があればそれらも含みます。

ちょっと記憶が怪しくなってきましたが、覚えている範囲で…私が小学校を卒業する記念に、祖父がパソコンを買ってくれることになり、PC-6601 を持っている友人を連れて電車で10分のデパートに行き、P6(PC-6001mkIISR)を手に入れました。祖父は新しいもの好きで、家には何かと新しい何かがありました。母は、祖父の「買ってやった」という恩着せがましい言い方が気に食わないと、あまり孫に買い与えないで欲しかったようです。で、 PC-6601所持の友人は全くアドバイスしてくれず、私はP6シリーズだと知らずにmkIISRを買うことになりました。よって、P6が欲しくて買ったわけじゃないので、Twitter等で「P6が欲しかったけどMSXを買った」などと仰る方を見ると、申し訳ない気持ちになります。また、mkIISRから入ったため、初代機の頃のソフトや書籍などをほとんど知らず、インターネット時代になってから色々と知りました。

購入時の記憶を挙げると…
・店員は、初心者向けということでこの機種を勧めてきた。
・MZ-2500が展示してあって、格好良かった。
・専用ディスプレイとセットで10万円ちょうどだった。
・ディスプレイ台も付いていた。
・祖父が店員に「負からんか」と言ったけどダメだった。
・電車で持って帰った。(かなり重かったと思われる)
・データレコーダーを買い忘れていて、後日、購入した。

P6と平行して、66ユーザの友人がMSX2をFDD付きの機種に買い換えるということで、PanasonicのFS-A1を5000円で譲り受けました。この機種の記憶としては、ハイドライドIIと3、シャロム、キングコング、三国志を遊んだ程度。
中学時代はパソコン部(うちの中学は運動部と文化部の両方に入るんだけど、文化部の方)に入り、家からディスプレイと本体を部がある日に担いで持って行きました。よくやったよなぁと思います。
P6は、高校2年の夏休みまで使っていました。大学受験のためだったか、もうソフトの出ないためだったか、その後は全く使わなくなります。そして、大学に合格してアルバイトを始めた後、PCが欲しくなって手に入れたのがEPSONのPC-486MUでした。しかし、家で最初に起動すると、最初にFDでバックアップを取らされる時にFDDが認識せず、家電屋に持って行って修理完了→持って帰ってやっぱNGというのを2回繰り返した後にNEC製に交換しろと伝え、ゲットしたのがNECのPC-9821Xsでした。MS-DOSとWindows3.1(後にWindows95にVerUP)という、PCが劇的に変化するのを体感しました。その後の機種は、PC/AT互換機ばかりになってしまうのですが、1996年にWindows95が出て、インターネットブームになった際、ホームページを作り、P6コーナーを設置していたところ、hokutenさんのP6サイトがあることと、P6エミュレータが開発されていることを知り、P6コーナーがどんどん大きくなっていきました。そして、P6コーナーを分離し、RetroPC.NETで公開、現在はP6ドメインのサーバで活動しています。その間にいろいろな人と交流し、P6仲間が増えて、現在に至ります。なお、P6オフ会は2003年からほぼ毎年開催しています。

 

*現在のHashiさんのPC及びメインパピコン使用環境一部 何気に手作りTシャツが?!

Q2 P6購入当初の主な使い道やよく遊んだ事などを教えて下さい。

ゲームですねー。
66ユーザの友人からソフトを借りて遊んでいました。学校の他のP6ユーザは初代機を持っている人が一人だけで、その初代機も故障中という話でした。当時、PCソフトのレンタル屋というのが存在し、そこで借りてきてダビングして…と悪いことをしていましたが、それでもP6は「終わっていた機種」だったため、あまりレンタルできる本数がありませんでした。ということで、主にベーマガの投稿プログラムを打ち込んでいました。あと、母は勉強用として使わせたかったらしく、英語ソフトを買ってもらって少し勉強をしました。とはいえ、P6のスペック的にも大したソフトではなく、すぐにロードしなくなりました。あと、P6のRPGで「リザード」と、その続編「アスピック」がありますが、先にアスピックを解いてしまった思い出があります。「ブラックオニキス」は、攻略ページを作って居る時にクリアしてしまいました。

Q3 現在のP6使用環境を教えて下さい。またコレクション自慢をお願いします。

・・自慢と書くと気後れや気を使ってしまいがちですが、全く気にしないでお願いします。

  

*Hashiさんのコレクション一部。シエラ版のミステリーハウスのパッケージカッコいいなぁ。やはりベーマガはマイコン野郎のバイブル?!
祖父に買ってもらったPC-6001mkIISRは今でも動く状態で所持しています。祖父は亡くなったので、形見になってしまいました。インターネット時代になってから、PC-6001を2台、PC-6001mkIIを2台、PC-6601を2台、PC-6601SRを1台、手に入れました。
しかし、完動品はその半分程度です。大部分のソフトもインターネット時代になってから手に入れましたが、当時から持っていたソフトは残っていて、今でもロードできます。ベーマガなどの雑誌も結構残っており、BBSで物持ちが良いと言われました(^^;
ヤフオクでは、無理矢理購入するようなことはしないようにしています。また、自分の思い入れの無いソフトを落札してもしょうが無いので、基本的にスルーしてます。たまに欲しくなりますが、その時は出せる額までしか入れません。
あまりレアなソフトは持っていませんが、しいて挙げるとすると、
・シエラオンライン版ミステリーハウス
・FD版マッピー
くらいかな。

Q4 P6同人誌製作、ベルーガ販売などのコミケから、みながこれで燃えた本内司会など制作側に色々かかわられていますが何か面白いエピソードなどあれば是非。

1.P6同人誌製作

数年前、P6メンバー内で「すぐ手に取れるようなサイズの冊子が欲しいね、P6同人誌を作りたいね」という話があって、水面下で動いていました。しかし、みんな社会人で仕事があって時間が取れず、頓挫してしまいました。
その時に書いていた原稿が結構残っていたのと、KAWさん(Twitter上では@KAW6001)の1画面プログラムなどが浮いた状態になっていたのが残念で、どうにかしたい
なぁという気持ちがありました。ひょんなことで、初めてのコミケ(C77:2009年12月のコミケ)に行き、レトロPC関連サークルに挨拶した際、ohtaさん(Twitter上では@ohta8801)からC78の申込書を押し付けられ、「お金は良いから。申し込んでおけ」と。
出来ないことは無いなーと思ってしまったのが最後。申し込んだら当選してしまった→思った以上に売れた→C79も申し込んだら当選→新刊も売れちゃった(イマココ ってな感じです。製本方法は、Twitterでツイートしているように大変でした。レーザープリンタでトラブルが頻発するし、紙はシワシワになるし、通販は大変だし、でも感想をもらえたり、No.2に続いて同じ人からNo.3の注文をもらえるのは評価して頂いていると感じます。また、コミケのブースでお客さんと会話するのが楽しい。それだけでも出店した意義がありました。

2.ベルーガの販売

*画像は後に製作されたベルーガT。思い入れが伺われる。
カートリッジ版ベルーガは、西田ラヂオで数量限定販売をしていましたが、製作の負荷が高く、とても量産できないため、(対応機種はmkII以降になってしまいますが)テープ版やFD版を作りたいという気持ちがTinyProjectメンバー内にありました。そこで、Bernieさん(Twitter上では@bernie6001)が頑張ってマニュアルやパッケージを製作。P6オフ会で配布したところ、ぜひコミケで出したいということになり…しかし、さすがに実機が必要(変換すればエミュレータでも動作可能ですが)ということもあって、あまり売れませんでした。FD版もやりたいですねぇ。

3.みんながこれで燃えたP8P6本

iP6forWinの作者であるMORIYAさん(Twitter上では@morian)から、RetroPC.NetMoliceさん(Twitter上では@Molice)がP6のムックを出す(実際にはアスキー出版)ということでネタ出しを依頼され、出版される半年くらい前だったかに東京で打ち合わせをしました。その時は東京で仕事をしていたんだったかな。出したネタのうち、採用されたのはあまり無かったので、P6同人誌にフィードバックしています。
そして、P6エミュレータ作者とコネがあって、適任ということでP6エミュレータ座談会の司会を行うことになり、アスキー本社に。そこで初めて顔を合わせたのがPC6001VWのBernieさん。一人だけスーツをびしっと着て、まるでインテリヤクzげふんげふんサラリーマンでした。P6オフ会とは違い、消化不良な感じでしたが、ムックに掲載する内容としては、あの程度で良かったのかなと思います。ムックが発表され、発売されるまで自分が関与していることを隠し通すのが辛かったです(^^;
ちなみに、本屋とAmazonで購入したのと献本のがあって、計3冊も持っています。

*本当に3冊ありますな!

Q5 P6コミュニティのいう単語が同人誌などででてきていますが、TinyProjectや実際のネット経由での知り合いや友達など多岐に渡ると思いますが TnyProjectに関して紹介をお願いします

実は私がTinyProject代表なのかどうか分かりません。
TinyProjectの発足について、P6同人誌No.3に記載した文章を引用すると…

「TinyProject(タイニープロジェクト)」は、2年前にベルーガをテープ版にしたりFD版にしたりするプロジェクトを進めていた際、パッケージ に何かメーカ名みたいなものを入れないといかんね、でも松島さんは個人名だし、DirectX版の「4 COLOR SYSTEM」はあくまでシステム名だからと松島さんから言われ、こりゃ新たに考えますかってことで生まれたのが「TinyProject」でした。このチーム名は、P6コミュニティの誰か(一人でもOK)が、P6に関することをする際に使用可とするもので、あまり制限はありません。ともかく、「タイニー」へのリスペクトが含まれていることは確かです。メンバーでロゴも考え、あのタイニーゼビウスで使っていた青・黄・赤・緑の4色を組み合わせた素晴らしいものが出来ました。お気に入りです。

ま、P6で何かの活動を行う際に誰でも名乗って良いというゆるいものです。たぶん、大きな活動としてはP6同人誌がメインになっていく…イコール私の執筆活動(そんな大げさな物ではありませんが)となれば、私が代表ということになるのかなー。
P6オフ会の幹事をやっていることもあり、TinyProjectをP6活動を行うための名義にしたいと思っています。

Q6 P6エミュレータやオークションなどで今でも実機環境を構築したり、エミュレーターでゲームをすることは可能ですが、これから先P6を取り巻く環境はどうなっていくと思いますか? P6に限らずレトロPC全般という事でもOKです。

まず、期待したいのが1chipMSXのような、FPGAによるP6の再現ですね。1chipMSXのFPGAを書き換えれば可能なのかも知れません。ハードの劣化問題が一番大きいので、代替ハードは期待せざるを得ません。
もうちょっとスケールを落とすと、一番劣化の影響が出るキーボードの代替ハード。P6のキーボードをPC/ATにつなげる変換器が存在しますが、逆のパターンもできるのではないかと思います。そういった意味でも、P6の同人ハードは未知の世界で、今後いろいろと出てきそうな気がします。ソフトについては、ベルーガほど大きなモノは無いにせよ、年に数本は作品が出てきているので、今後も良作が出てくると思います。ただ、そのためのモチベーションをどうサポートするかが私達の使命だと思います。
プレイする、評価する、次の作品製作を促すなど。公式エミュレータは期待していません。NECもアテにはなりませんし。誰か大金持ちや偉い人がP6メンバーに存在すれば何かできそうですが。BernieさんがフリーBIOSを作っているので、それを使ったゲームが少しずつ出てくると思います。ハードを持っていないとか、ヤフオクで完動品を手に入れるのが難しいライトなユーザに対しても、P6ソフトを楽しんでもらいたいので、フリーBIOSは期待しています。

P6コミュニティとしては、Twitterなどによって少しずつ増えているので、今後も活動を続けることで維持し、もっと広げていきたいと思っています。
なんだか自分の活動に近いことばかり言っている気がしますが、いま活動できるメンバーが動くことでどうとでもなってしまうため、盛り上げていくしか無いと思うのです。ニコニコ動画やYouTubeによってP6ネタを出したり、TwitterによってP6ユーザを掘り起こしたりしたわけで、新しいコンテンツが出てくればそれに乗っかって活動していきたいです。ネット以外では、コミケに参戦していますが、今後は他にも手を広げるかも?P6グッズも増やしたいですね。今年はPC-6001の生誕30周年ということもあり、何か大きな事をしたいのですが、難しいですねぇ…レトロPC全般としては、FMシリーズや MZ/X1シリーズのムックが出ると良いなぁ。P6についても、P8P6本は内容が厳しかったので、P6オンリーで出て欲しいなー。

最後にMZ陣営に対して一言・・! word with curse heart with love! で :-)

TwitterやBBSでMZを罵倒してすみません(^^;でも敵!(゜Д゜)

MZ-700という機種はベーマガで存在を知っていた程度でした。当時、Oh!MZなどの雑誌は読んでおらず、ベーマガでもMZ-700の作品はキャラグラということもあって、あまり目を引きませんでした。興味を持ったのはインターネット時代になってから。きっかけは何だったか…たぶん、キャラグラによる例のハドソン製「野球拳」と、無理矢理ビットマップ表示させて現代版「野球拳」を作ったとか、古籏さんに よるタイニーゼビウスの移植(実際には違うけど)やスペースハリアーなどのプレイ動画をネットで観たり、ニコニコ動画でアイドルマスターのOPを再現した 動画を観たりして、勝手にライバル心が沸いてきた…というのがあります。それから、MZ-700エミュの他にもいろいろなエミュレータを製作している武田さんと某イベントで出会い、うちのサイトのBBSに顔を出すようになり、P6オフ会にも参加されるようになった頃が合致していて、興味深いなぁと思います。古籏さんとはTwitterで何の気なしにつながって、コミPo!によるP6 vs MZ-700戦争に発展するという…
MZ-700というマシンについてあまり知識が無いのですが、「不可能は無い」と言わしめているユーザの無茶さと、それに耐えうるマシンという魅力があると思います。もちろん、P6も負けていません。8bitマシンは他にも色々とあるのに、なぜMZ-700を目の敵にするのか
それは、上記のようにタイニーゼビウスとスペースハリアーの件もありますが、「熱狂的なユーザが存在すること」と、「今でも活動が続いている」という2つに共感を覚えるからです。
なお、他機種の動向をあまり知らないので、今でも活発に活動している機種があればごめんなさい。あと、MSXが近いところですが、世界規模すぎるのと、公式エミュレータなどのフォロー体制がありすぎてちょっと並べるのはどうかと思いまして。

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HashiさんのサイトTHE B-TYPE UNION. 

ありがとうございました!BEEPmag.ではインタビュー者を募集中です、自薦他薦02_blk_Comment.gif情報お寄せください!

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